「堀江貴文「1億円で小型ジェット機に乗る理由」 | リーダーシップ・教養・資格・スキル | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準」

電車を避けたい理由はある。仕事をする気が萎えてしまうのだ。いろんな人が疲れ果てた顔で乗り合わせているので、仕事をこなす気持ちをキープするのが難しい。

 全くもってその通りだが、ホリエモン氏がそんなに繊細だとは思わなかった(笑)。

 感度が高いからこそのビジネスマンなんだが、あまり影響を受けないタイプかと思っていた。


飛行機の耐用年数は長くて、一般的なジェット機で30年程度。「ホンダジェット」もそれくらいは持つはずだ。1億円で30年なら1年当たりおよそ300万円。それでプライベートジェットに乗れると考えれば、そこまで高くはないだろう。

 高くない。月27.7万円。

 毎日のように食事に出かけていた頃、必ずお酒を飲むから必然的に移動はタクシーで、月にタクシー代が20万円を超えていた。

 ましてや売って現金化できるなら手持ち資金のある人にとってはコストパフォーマンスの高い買い物。


けっして「すべての移動をタクシーで」「飛行機や高級外車を買いましょう」などとすすめているわけではない。

もちろん「拝金主義」になれというつもりはないが

 とわざわざ補足しなきゃいけない読者層に対応するのも大変だなと思う。必ず1割くらいは「贅沢をすすめている」と勘違いする人達や「お金が全てじゃない」とか言い出す人達がいる。


ある日、高級住宅街でエレベーターに乗ったら、外国人の子どもが3人乗ってきて英語で話しかけてきた。インターナショナルスクールで催される「花見祭り」のチケットを売っていたのだ。

興味はなかったが、あまりにも熱心に営業してくるので、250円のチケットをそれぞれの子から1枚ずつ、計3枚買ってしまった。

 これも意外(笑)。250円のチケットを250円で売るアホがいるかと逆さ吊りにするタイプかと思っていた(笑)。


 時間の価値に対する感覚は、本人の社会的地位や所得が大きく影響する。例えば1日8時間労働、月22日稼働で年間2億円稼ぐ人は、時給94,696円、分給1,578円。15分歩いて23,670円を失うよりタクシー代1,000円払ってタブレットを眺める方がいい。

 弁護士の相談料に例えるなら、こういう人に15分間悩み相談すると23,670円分の時間を奪っているということであり、1対1の個別相談では高く付くので、講義・セミナーのように1対nにする方が妥当と当たり前に導かれる。

 スエズ運河のソレも同じような計算。通航料3,000万円払って近道するか、原油価格が下がれば遠回りしても時間ロスを相殺しても利益が上回るとか、常に時間とコストが駆け引きされている。当然に積んでいる荷物の価値(値段)による。

 難問を解くか、難問を回避するかもその人の時間的価値で必要な能力が異なる。


 日本人の精神性として「全ての行いに同等の価値がある」と言い聞かせてきた(そう思いたい)ところがあるので、相場的価値(ひいては需要の有無=必要とされているか)を数値化したくないのだろうなと思うことが多々ある。「一人当たりの生産性」とか言い出されると、能力差がはっきりする上に自分の存在が小さく見えるから(少なくとも常に偏差値50を境に半分はいる)。

 だったら大きくなればいいんだが、なれない人はソレができりゃ苦労しないということだろうし、誰かの存在が大きくなれば順位が入れ替わって誰かの存在が小さくなる。それが相場的価値であり偏差値そのもの。

 その辺をうやむやにしておきたい人達がそれなりの数いるので、日本で時間とコストの話をしても思うように響かない。まさしく記事で触れられている「雇われることを前提にした日本の教育」の影響だろう。で終いにはお金持ち=ヤクザみたいな思考に転じる。


学校や大人が子どもに植えつけてきたのは「嫌金思想」や「清貧思想」だ。

 頑張っても大して給与の変わらない生活を何代も続けていると学習性無力感に陥るのかもしれない。それが日本人の自己肯定感の低さや幸福度の低さの根源のように思う。手に入らないものは求めるより嫌った方が楽といういわゆるすっぱい葡萄の心理。

 小中学校でマイケル・サンデルあたりに「今日は報酬の話をしよう」とかやってもらったらイイんじゃないかと思うが、そもそも親達(或いは教師)が子供に聞かせたくない話なのかもしれないとも思う。

 というわけで、どこかのタイミングで貧乏思考を改めないと貧乏ループから抜け出せなくなる。

 ここで思い切って、

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的な。