最近、8-9年ぶりくらいにある男(笑)と再会した。15年くらい前に、共に栄華を極めた(笑)男。
当時買ったベルルッティの靴をちゃんとメンテナンスに出しているらしく、まるで新品のようにピカピカ。全くもって靴の手入れをしたことがない私から見ると「何と!」という驚きしかなく、モノを大切にし、モノへの愛着があるというのは見ていてとても気持ちイイ。
最近あまりそういうヒトを見かけない。
大切にする、愛着があるというのは、そこに心があるから。いわゆる愛情。当然にそれはモノだけに留まらずヒトにも向けられるので、人間味となって個性を形成し、ひいては魅力としてオーラを放つ。
一方、モノに対する執着は美しくない。アレも欲しいコレも欲しいは節操がないし、不要なモノを手放せない人もいる。
執着と愛着はまた別のものであり、自分が本当に好きなものを大切にするという心は、商売においても取扱商品に向けられ、それが顧客に伝わる。
製造業や自社ブランドを持っている経営者達は、自社製品・自社ブランドに愛着がある。名前からデザインから全て。創業者は特に。自分が生み出したものだから我が子のよう。
一方商社のように、他人が作ったものを横から横へ転売する(かつ1回で大量に)だけのビジネスだとそうはいかない。一般的に商品知識から何から薄っぺらいことが多い。1つ1つに構っていられないというのもあるだろう。
不動産も同じで、ただの販売代理店が取り扱うと「とにかく売れりゃいい」「売るのが自分達の仕事」的な営業が安っぽくいい加減な印象を与える。他方、例えば「三菱地所が設計し、建て、三菱地所が販売する」と言った物件は最初から最後まで手厚い。
最近執着心のないヒトが増えたのは良いことだが、同時に愛着心も薄れている印象がある。「私は本当にコレが好き」という感情そのものが生じない(自分は何が好きなのかワカラナイ)のか、希薄な印象を受ける。それが人間関係にも出ている。
その結果、いわゆる「量産型」のスタイルが溢れ、個性がまるでないため(顔だけでなく声や動き方まで)、マスクをされると何度会っても覚えられないヒトが増えた。
最近ハイブランドのブティックに入ると、まだ何も買ってもないのに私をあからさまに特別扱いするスタッフが多い。一時期はどこも「皆平等」意識が高かった印象だが、これはどういう流れなのかと考えた。
話を聞くと、まさしく量産系の特徴のない風貌の客から「今イチバン売れてるのどれ?」と言われ「コレです」と案内し、そのままレジを切るだけということが増えているらしい。
商品知識が問われることもなく、いわゆる単純労働化している。
それぞれ地球上の人口の約18%を占める中国やインドの台頭によって、モノの需要量が急速に増え、これまでの数十年間の「モノが溢れる」時代から、モノが不足する時代になりつつある。特に製造や取り扱いに手間暇かかる高級品からその傾向が強く出る。
するとこれまでは先着順番に売れば良かったブランドブティックは、モノが足りずに本当に売りたい顧客へ商品が回らなくなり、当然に客を選ぶようになる。
結局のところどういうことかと言うと、お金を使っても大切にされない客と、お金を使わなくても大切にされる客と居る。
昔は「日頃の行い」と感じていたが、最近は生まれつき決まっているのかなと思う。いわゆる「スター性」みたいなもの。
話は戻って、「こだわり」と「固執」もまた違う。その辺の絶妙なバランス感覚こそが、他人を魅了する個性となるか、或いは他人を遠ざける要因(頑固とか意固地とか変質的とか)となるかの分かれ道なんじゃなかろうか。
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