「常磐道などであおり運転した会社役員の被告、水戸地裁の判決は? | ハフポスト」

 よほど弁護士がやり手だったか。

 知的障害があって法律やマナーが理解できないのならまだしも、パーソナリティー障害があるからといって執行猶予で済むなら、日本人の1-2割くらいは罪を背負えない(責任がとれない)ことにならないか。

 事件当時はあおり運転そのものを処罰する法律がなく、罰金刑がある道路交通法違反や暴行罪が適用されるケースが多かったが、検察は3件すべてで罰金刑がなく懲役刑のみとなる強要罪を適用した。

ということは罰金さえなくただ通院するだけ

 危険運転のように明らかな人命リスクがある場合(しかもその後暴行)、それを健常者が黙って受け入れなきゃいけない理由にはならない。

 車の免許を取りあげたとしてもすぐに人格は変わらないので(パーソナリティ障害は治療で改善すると言われているが)、自転車でも徒歩でも同じ衝動に駆られるだろうことを考えると、そのまま実社会に戻すのは危険極まりない。

 そもそも高速道路であおり運転をする時点で正常でないことが先に確定しているのだから(まず衝動を抑えられないという点)、精神鑑定をすれば何かしら見つかるのは当たり前。

 言い換えると、犯罪者は皆精神鑑定に持ち込めば高い確率でムショ行きを免れる可能性を示したということ。

 この流れの何が問題かというと、我慢を強いられる側をいつまでも押さえつけておくと、必ず正当防衛(先制攻撃含む)の議論が始まり暴力的な社会になるということ。「黙ってやられっぱなしでいるわけにはいかない」という考え方が必ず出てくる。戦争や白人対黒人の関係性と同じ。

 病人や障害者に優しい社会と、病人や障害者を甘やかす社会は違う。

 治療で改善し、その間何も起きなければめでたしだが、何かあっても被害者は「お気の毒に」で済まされる社会はいつまでも続かない。