「天才とは、1%のひらめきと99%の努力である」というエジソンの有名な言葉があるように、努力がとても重要であることがいえるでしょう。
水を差したくないが、
名言が有名になった後、エジソン本人が「天才=努力が重要と言ったんじゃない!」という弁明をしていた!
エジソン本人が、別の会見で「私は1%のひらめきがなければ、99%の努力は無駄になると言ったのだ。なのに世間は勝手に美談に仕立て上げ、私を努力の人と美化し、努力の重要性だけを成功の秘訣と勘違いさせている」と発言した、というエピソードがあるのです。
https://precious.jp/articles/-/12305
とそろそろ認識を改めた方が良い。2016年にも紹介した。
反対側を見ると解りやすい。例えば超絶バカな人を見て、「あの人は並々ならぬ努力によってバカを極めた」と感じるだろうか。
「バカに付ける薬はない」という言葉があるように、改善は見込めないものとして認識されている。
天才も同じ。
天才が努力することはあっても、努力によって天才になるわけじゃない。天才が努力したらスゴいことになるが、努力しなかったとしても天才は天才。
北を見れば大凡南が解るように、片方を見てもピンと来ない場合はもう片方を見ると良い。沸騰した状態と凍った状態を比べたら、双方ともに目に見える境界があることが解る。貧乏と大富豪もそう。
バカと天才が紙一重に見える人はそもそも識別能力を持っていないので、天才を育てようにもバカと区別が付かず落としどころ(ゴール)が見つからない。よって何を褒めたら良いのか、どこを目指せば良いのかもわからない。
イチバンの問題は、その区別が付かない人達が無理に天才を育てようとすると、取り返しのつかない失敗作を作り上げるということ。天才でないのに天才として育てられた子供は社会に出てから気付いても大凡手遅れだから。
「天才」とは、他人から見た客観的な評価として使う言葉であって、天才にするかしないかじゃない。
そう考えた時点で思い上がりであり、自分程度の天才像にしか育たない。
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