「ワクチン接種しない医療従事者ら、仏は給与支給を中止へ…義務化強化 : 国際 : ニュース : 読売新聞オンライン」

 報道と共にコートダジュールに住まうロシア人女性からも「08月からバスもショッピングセンターも飲食店もワクチン接種証明書が必須になるんだって!」と聞いた。彼女はワクチンを打たないつもりだった人。私は聞かれたことには答えるがすすめたりはしてない。

 フランスの動きは興味深い。

 ニューヨーク州のソレと同じく、日本と欧米の向いている方向が真逆に見える。

 日本は元々子供の頃のワクチン接種率が極めて高く、犬にも狂犬病ワクチンの接種を義務付けていることから、普通に考えたら「日本人100%接種」が前提となりそうな文化的背景にありながら、なぜか今回に限って突然「選択の自由」が強調されている。

 もちろん日本人の性格的には急に「ご自由にどうぞ」と言われると、周りが打てば自分も打つという人がほとんどだと思うので、いずれにせよ接種率は80%を超え世界最高水準に達するだろう。

 だから私は日本のワクチン接種率に関して全く心配はしてないんだが、指揮のとり方があまりにも異なる点がオモシロイ。

 精神性としてイチバン影響してそうな要因としては軍の有無か。生きるか死ぬかとなったら「全体」(国家)の利益を優先し、なおかつ「国民として果たすべき義務」が掲げられ強制(徴兵など)されることもあるという前提にある。日本以外のほとんどの国は。

 ※その点で、日本人は全体理解(例えば社会の利益や優先順位の理解)に乏しく空気を読み違える傾向がある。

 今の世界は、「マスクをしない権利」とか「自由に営業する権利」とか個人の思想が優先される状況にない。決して権利が踏みにじられているわけではなくて、「このまま皆一緒に経済死しますか?」という岐路に立っており、まずは乗り越えなければならない優先度の高い難題が目の前に立ちはだかっている。

 シビアな例えだが、もし片足が何かに挟まって動けない場合、足を切断して脱出するか、そのまま壊死または餓死するのを待ちますかという状態。思想も選択も自由だが、1人1人が決断するしかなく、決断するには何か1つを選ぶ必要があり、あれもこれも並列に存在できない。トロッコ問題と似ている。

 一言でいえば、我々は理想郷に住んでいない。

 そこで、まさしく「自由の国」の代表選手であるフランスでさえついにワクチン義務化に至ったわけだが、日本はグローバルダイニングのように法的な命令にさえ従わず、かつ逮捕もされないというユル〜い感じで現在に至っている。

 それで何とかなっているのでこのままワクチン接種が進むのを待つしかないのだと思うが、政治家が交渉してワクチンの割り当てを勝ち取り、税金で購入したワクチンを公務員がせっせと配置・管理したものを、国民はブーブー文句を言いながら接種し、気がついたら収まっていた的な結末を想像すると、医療従事者にはブルーにライトアップして敬意を示してみたりするのに、公務員に賛辞を贈る人はいないのかという違和感がある。

 税金で食べてるんだから国民のために働いて当たり前と言えば確かにそうかもしれないが、アメリカの接種スピードといい、“国力”とは結局のところお金を稼ぐ人(高額納税者)と公務員の偏差値で決まるんじゃないかと思うことが増えてきた。

 同時に、もしワクチンがパンデミックから世界を救うのなら、高額納税者に褒賞でも贈った方がイイんじゃないか。とも思う。

 話はフランスのワクチン義務化に戻って、下記の記事の通り、「ワクチンを打ちたいわけではないが、(発表を聞いて)打つしかないと思った。バカンスへ行きたいからだ。外出のたびにPCR検査を受けるのは大変すぎる」というところがフランスっぽい。