顔とは多くの情報を持っている。骨格、表情、目つきなど全て。
筋肉の付き方を見れば、どこに普段力が入っているかわかる。歯を食いしばる人とか。我慢する人、或いは力仕事をする人。
その反対に口元がだらしない人がいる。喋り出すとアゴが弱く発音がだらしない。そういう人は食事をすれば口が開いていてクチャクチャと音を立てたりする。
歯を見たら大凡の育ちがわかるし、肌を見たら健康状態や生活水準がわかる。
が、昔から「人は顔じゃない」と主張する人が一定数いる。聞いてもないのに(笑)。
一般的には「美人/ハンサム」かは問わないと意味で用いられるが、「人は見かけによらない」の意味を込めて「人は顔じゃない」と言っている人もいる。すなわち「顔からは判断できない」という考え方。
こういう人達はもしかすると、視覚入力から情報を読み取る力に乏しいだけかもしれない。本人にとっちゃ何の情報も得られないから「顔じゃない」と言う。そこにデータはありません的な。
マスクをすると顔認証が機能しなくなるように、顔とは個人情報そのもの。「プライベートな」(いわゆる肖像権としての)という意味の“個人情報”のことを言っているわけではなく、本人を指し示す(特定する)データという意味の個人情報。いわゆるシリアル番号のようなもの。
特異的無嗅覚症のように、特定のニオイがわからない人がいる。この場合は対象となる受容体そのものを持たないので訓練しても変わらない。一方で受容体は持っているが、閾値(認知領域に踏み込む感度下限のようなもの)に達してないから認知しないというニオイもある。
色覚異常の他に、視覚にも同じような症状があるかどうかは知らないが、仮に同じ風景は見えていても、そこから読み取れるデータ量が異なり(=知性・知能も関わるだろう)、認知機能の閾値を下回ると切り捨てられれば「ナイ」に等しい扱いとなる。
これはMP3のような圧縮音源のように、自分の閾値を下回る情報(聞き取れない20khz以上の音など)を削除してしまうことと同じで、データが軽くなるというメリットと引き換えに、聴覚刺激は単調化していき、いずれは人間の可聴域は狭まっていくと思われる。その領域の音に耳を澄ますということがなくなるから、脳の優先順位は下がりシナプスは結合を失う。
例えば、日本人は欧米人の顔を見分けられない人が多い。「みんな一緒ですよね」とか平気で言う人もいる(笑)。同じく欧米人はアジア人の顔が全部同じに見える。が、しばらく外国人と接しているとどんな鈍感な男でもちゃんと見分けられるようになる。要はどこを見たら判別できるかというポイント(コツ)を掴むのだろう。
ということから、そもそも知覚していない(嗅覚で言えば受容体を持たない)ケースと、知覚はしているが認知機能に働きかけるほどの情報を読み取れないケースとあると考えられる。
情報を読み取れないとナイものとして削除してしまうので、ますます脳が鈍感になっていくという循環。
Cambridge Brain SciencesのPOLYGONSは、パッと見同じか異なるかを判定する単純なものだが、同じなのに違って見える人、違うのに同じに見える人がいる。目の錯覚が生じやすいように作られているが、瞬時に見分けるとなると本質的な能力が問われる。
差異に気付かないということは変化にも気付きにくいので、多少変わってもその人の脳は「同じ」と判定する。「更新はありません」という状態。すると脳は新規の演算を行わない。要するに頭も使われない。
だとすれば、結果的に頭も悪くなる可能性が高い。頭が悪いから差異に気付かないのかどっちが先かはワカラナイが。
よって美しいデザインとか、綺麗なシルエットとか、バランスの良い比率(黄金比など)とか、そういったものを感じにくい(感じ取れない)人は、もしかすると「美人」とか「ハンサム」というのもわからなくて、ワカラナイからこだわらない(すなわち知覚してないまたは認知域に達してない)という循環にあるのかもしれないと思う。この10年ほど。
耳がイイ人は音質にこだわる。聞こえない人は当然にこだわらない。視覚も恐らく同じなんじゃないか。
「知能」の管轄は非常に広い。
0コメント