以前書いたピグー税の考え方。
思いの外ゆっくりのペースだが社会全体におけるパンデミックに対する思考が成熟しつつある。
責任感のない行動によってもたらされたコストは他人に負担を強いるべきじゃない。
保険に入らずに車を運転して事故を起こした場合、本人が賠償金を払えないから税金から負担しましょうね(更には財源が足りないから増税しましょう)とはならないのと同じ。仮にそうしたとしても、負担を強いられている側にも経済的に限界があり、いずれはその無責任な者に対し“正義”という名のもとに(個人的な)制裁を加える人(達)が出てくるから、それを防ぐためにも法基盤とは常に数歩先を行く必要がある。
会社で言えばコストは削減され、コストの根源を絶とうとするのと同じく、社会においてもいつまでも無条件に手を繋いでいてくれるわけではない。
犬の予防接種で言えば、他人に噛みつき病気が発生するなどの事件が生じた際に、ワクチンを打った犬とそうでない犬の飼い主に対する“過失”の問われ方の違いのようなもの。
社会保障を受けるからには、社会の一員として最低限の責務を果たすのは当然のこと。権利と義務という基本的な考え方。
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