高IQ=生き辛いという記事がまた増えつつあるように感じる。
本来、IQが高いと快適(なはず)。
もしそれで生き辛い場合は、他の何かがそうさせているから。他人ができる当たり前のことができないとか、性格的な問題とか、生い立ち(親の育て方や教養レベル、トラウマ、コンプレックスなど)とか、コミュニケーション能力が低く他者と共存できない(社会性や協調性の問題)とか。
すなわちIQの高さという優位性を打ち消すだけのマイナス要素があるということ。
病院で受ける統合型知能検査とは、「これができなければ日常生活に差し支える」ということがどのくらいできるかを測るもの。そのスコアが高いということは、日常生活で要求される処理を素早く処理できる=「できなきゃいけない事が超できる」状態。
だからどう頑張ってもIQが高い=生き辛いとはならない。
見方を換えると、別に特殊な能力を計測しているわけではないので、IQが高いから何かの分野で成功することを約束されるわけじゃない。もしそれをもってして「生き辛い」と思っているなら、ただ単に他に秀でた才能がないだけだろう。
もし生き辛さの原因がIQの高さによるものだと思っているのなら、その時点でIQは高くない。IQとは何かを理解する思考力の欠如(*1)。もし親がそう主張している場合は、天才・秀才を育てるのに向いてない。
(*1)包丁で人を刺す人がいる。「包丁は危険だ」→「包丁がなければこんな問題は起きない」→「包丁を規制しよう」という単純な思考に似ている。
もしくはそもそもIQの測定方法が間違っている(実はIQは高くない)か、その他の問題に自分及び親が気付いていない、もしくは親がもみ消そうとしているのかのいずれじゃないか。
※「その他の問題」を指摘させないために「うちの子はIQが高いから」と先に決定付けようとしている親も少なくない印象がある。
IQが高けりゃ性格が悪くてもいいわけじゃないし、教養がなくていいわけでもないし、ウロウロしたり奇声を発したりして他人の集中を妨げていいわけじゃない。
他人や社会から見て、それを我慢する価値があるかどうか(得るものの大きさ)で必要・不要が決まる相場的なもの。いわゆる需要と供給のバランス。
では仮に、日本中の本物の天才達のデータを集め、「生き辛い」という人が凡人よりも高い確率で存在するとしよう。飽くまで「もし」という話。
ということは、何か関連があると考えられる。
1: 才能よりも努力を重んじる日本社会は天才に冷たい。多くの「生き辛い」派は多分この結論を望んでいるんじゃないか。
2: 天才は何らかの疾患を併せてもっている確率が凡人より高い。=能力は高いが、マイナス要素も大きく、総合的に見るといわゆる凡人よりも社会的に使えないことが多い。例えるなら数学100点、国語、理科、英語、社会は30点みたいな人。
3: 天才児の育て方の問題。日本は何でもできる万能型よりも職人を異様に高く評価する傾向があり、寡黙で頑固で怒りっぽい(要はコミュニケーション障害)性格を「欠点」と捉えるよりも、周りが受け入れることを要求する。言い換えると、周りはそれを受け入れるだけのメリットがない場合(そこまで大した才能じゃない場合)拒絶され孤立する。
などが考えられる。
「1」は結局のところ社会のせい、人のせい。その性格は親からの遺伝か親の育て方によるもの。一方で社会は天才の時代になりつつある。成功する天才とそうでない天才の違いは何かと問えば、どこかに大きな差があるということ。
「2」はもしかすると実際にそういうヒトが多いかもしれない。しかし天才と疾患・障害がセットなわけではないので、皆同じじゃない。
「3」親が物分かりが悪かったり、空気が読めなかったり、相場観がないことがそもそもの原因かもしれない。何かの天才・秀才だからと言って、周囲が何でも我慢してくれるわけじゃない。我慢に見合う利益を提供しなければ、排除する方が利益になるから。すなわちコストとの兼ね合い。
「IQが高いから生き辛い」という思考はズレていて、「IQが高いのに生き辛いのはなぜか」と考えたらもっと根本的な問題に気付くことができるだろう。
というのが私の見解。
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