なぜ日本人がツイリーを巻いてエルメスのバッグを持つと幼稚に見えるのかがわかった。
ツイリーを巻くなら、せめてバッグと同色系に揃えてみないか(笑)。
バッグに対し大きすぎるリボン結びも小学生の女の子っぽい。ピコタンに多い。
最近じゃ店員が「あーすべきこーすべき」と講釈を垂れることを好まない(押しつけと感じる)客が増えているので、エルメススタッフ側もダメ出しはせず「お客様の好みですから」でスルーしてるんだと思うが、その結果幼稚園のお遊戯会かというくらいちぐはぐコーディネイトが多い。
暖色バッグに寒色ツイリーとか、その反対とか。
そこに追い打ちをかけるように、全く関係ない色のロデオとか。
識別しやすいように意図的に全部ズラした信号機かという配色の人もしばしば見かける(笑)。
何も考えずただ自分が好きなクレヨンを握って色づけするちびっ子の塗り絵みたいな感じ。
自由と言えば確かに自由だが、コーディネートというものがある。
季節を感じさせる色があり、季節に合わせた服を選べば、必然的に季節感のあるツイリーが合う。色に限らず柄も含め。
バッグにしろツイリーにしろ、なかなか買えないから買ったもんは全部付けるというノリなんだと思うが、センスの欠片もないからバッグが出てこないんじゃないかと思ってみたりもする。
買っても使いこなせず、いずれ売るだろう的な。
私がエルメス店員なら、やっとの想いで入荷したバッグをそういう客に売りたくない(笑)。ピアノで言えばドミソの和音も弾けない人に世界限定のグランドピアノを販売するみたいな感じ。ギターで言えばFのコードも弾けない人にフェンダーUSAのイングヴェイスシグネチャーモデル(スキャロップドネック)を販売するような気分。
もっと言うならバイオリンと羽子板の区別が付かない人にストラディバリウス売るようなもん。
そこまでじゃないか(笑)。
エルメススタッフは年齢が高いほどプライドも高い印象がありつつ、急速な時代の変化に適応しようと頑張っている感がある。ジェンダーレスもそうだし、若年層や低所得層がバーキンやケリーを持ちたがることもそう。
が、ちょっとファッションについて突っ込んだ話をすると前のめりになってよく喋るし、ちょっと距離が縮まると現代の傾向に対し内心「いいやそうじゃない」という感情が見え隠れする。普段「語りたい」気持ちを抑えているんだなというのも伝わってくる。言葉の端々から。エルメスに限ったことじゃないが。
「一杯やりますか」とでも誘えばのってきそうな「やっぱりそうですよね」感。
入社当初の理想のエルメスの顧客像みたいなものもあるだろうし、昭和(中年?(笑))のロマンもあるだろう。
私にとっちゃそんな人ほど話が早いが、しがないサラリーマンエルパト組は下手に踏み込まない方が良いセンシティブな領域であり、色にもコーディネートにも無頓着な客がその手の熟年スタッフに当たると、どれだけお金を使おうとも出てきてもせいぜいピコタン、エブリンまでじゃないか。
何となくだがそう感じる。
インターネット上で見かけるものも街で見かけるものも、バッグとツイリーとウマの配色は、全体の7割が才能のないピカソの実写版(笑)みたいなトンデモ系の組み合わせで、2割は基本は抑えていてもセンスに恵まれず、1割が何とかなるかという感じ。
フレンチのコースの頭でオレンジジュースを注文する日本人女性と同じ印象を受ける。最初っからそんな濃い味のモノ飲んだら繊細な前菜の味をかき消すだろう的な。料理と飲み物にも「マリアージュ」というコーディネートがある。
その昔、古典的な由緒あるフレンチレストランで周囲やスタッフから顔をしかめられたような客が、今エルメスで同じことをやっているように見える。私には。
が、今は誰も注意もしなければアドバイスもしない。「多様性」「自由」のもと他人に干渉しない時代になったため、1人静かに失敗し、静かに葬られる時代。何がダメだったのかもワカラナイまま。
そしてSNSで得た情報から見よう見まねで皆が同じことを繰り返し、失敗作のコピーのコピーみたいな客が日々量産される。
話は戻って、色について色覚異常の私が言うこと自体トンデモなんだが、それを上回るトンデモ配色が多くを占めるので、数年後エルパト時代を振り返る時のための記録して残しておきたい。
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