「経済は立て直せても、失った命は取り戻せない…夜回り先生、コロナ感染対策の徹底を訴える | まいどなニュース」

 一瞬心を打ちそうなんだが、ちょっと考えるとそうでもない。

 経済の回復を優先しようとすると「人の命はどうでも良いのか」と反論する人が一定数いる。パンデミックに対する恐怖感が強い初期は特に。

 しかし休業やそれに伴うリストラ、倒産・破産が相次ぎ、金銭的に生活が脅かされるようになると「日本は重症化率も低いし、いつまでも自粛しているわけにはいかない」派が増えてくる。

 どちらも自然。いわゆる思考の成熟度によって見解が変わってくる。

 そこで「人の命」という言葉は戦争であろうとどんな時でも切り札となり得るが、人命を優先するのであれば、07月以降の自殺の増加も考慮する必要がある。

 7月以降5か月連続で前の年より多くなっています

とある。

 07月09日に『金融構造から考える「営業自粛は最長60日まで」という考え方』で私は「07月20日に給与が出ないと生活できない計算」と試算した。もちろん蓄えが潤沢な高給取りの話ではなく、平均所得以下のサラリーマンのケース。

 実際には、給料日には既に勤務先が倒産・破産している確率の高い人達が相当数いる。単純労働者の多くがそうだろう。個人経営の店舗従事者などは雇用保険にも入ってなかったりする。

 女性の自殺率が急増しているのは、まず日本は男女の賃金格差が大きく、相対的に女性は所得が低い。なおかつサービス業従事者が多く(必然的に休業やリストラによる失業が多い)、社会人所得偏差値でいえば50を切っている人の方が多い

 ということから、パンデミックに対する社会的「耐性」とは、免疫力に限らず経済力も見る必要がある。長い自粛に耐えうる収入または蓄えがあるのかという視点。

 専門家はほとんどの場合オタク視点であり、ある特定の分野からしか物事を捉えることができず視野が狭い。これが何よりもの社会的脆弱性だと言える。

 本来大人とは、豊かな人生経験を通じて多面的・多角的な視点で落とし所を探っていける(すなわち“頼れる”)存在であるはずなんだが、自分のテリトリーに没頭する過集中の子供みたいな大人が増え、所得の再分配よろしく知能の再分配を行えるだけの知性に富める大人が少ない

 だから政府は“専門家の意見”に振り回され、極端な政策を繰り返す。

 これは、この20年の日本が完成品市場におけるシェアが減り続けていることにもつながる。部品や素材市場では強いが、完成品として市場を魅了するものを作ることができない。要は自分のテリトリーの仕事しかできない人が増え、客観視、俯瞰視、全体視できる人が少ないことを意味する。

 前述のNHKの記事によると、

先月自殺した人は全国で1835人と去年の同じ月より14%増え

とあり、256.9人/月は超過自殺率と捉えることができる。COVID-19が直接の死因である死亡者数(現在累計2,784人)と比較すれば、今そして今後「人命」を持ち出す上で考慮しないわけにはいかない数。

 このまま行けば超過自殺率が大幅に上回るだろう。

 その時、「見かけ上の人命を優先した結果、多くの命が奪われた」と責められた時、責任ある説明ができるのか問うてみたい。