「誰もが知っているダーウィンの名言は、進化論の誤解から生じた!(千葉 聡) | ブルーバックス | 講談社(1/2)」

常に変化する環境に適応し易い生物の性質とは、非効率で無駄が多いことなのである。これはたとえば、行き過ぎた効率化のため冗長性が失われた社会が、予期せぬ災害や疫病流行に対応できないことと似ている。

 オモシロイ。私もそう思っている。

 酸とアルカリに例えると、時代が酸になったからといって100%酸になってしまうと、時代がアルカリに傾いた時に対応するためのコストが増大する。常に中央付近で揺れ動いている方が低コストだったりする。いわゆるのらりくらりの世渡り上手が何気に長生きする理由でもある。

 しかし、酸の時代に100%酸になれれば当たり度は高い。いわゆる時代にマッチした大ヒットソングみたいなもの。それで一生食べていけるかもしれない。グーグル検索で言えば、最初に出てくるようなタイプ。

 この辺のバランス感覚もまた生得的な嗅覚感度のようなものが問われる。

 今の時代、経営で言えば全ての無駄を省き生産性の高い構造が理想と考えられている。究極的に言えば従業員という存在自体がコストであり、社長一人が全て生み出している状況が最も生産性が高い。誰からも搾取しなければ誰の世話にもならないし、パワハラも賃金格差もない。しかし社長が病気になったら全部止まる。

 社長本人も要らない全自動システムはもっと最先端だが、もはや人間の存在すら否定することにならないか。と言ってももちろんそのシステムを作るのはヒトなので、優秀な人間の存在は否定されない

 こうしてあらゆる贅肉を削ぎ落としていくと、頭が悪い人とか、不器用な人とか、生産性が低い人が無駄な存在に見えてくる。実質今の社会はそうなりつつある。

 かなりゆとりがない窮屈な環境と化している。

 会社組織で言うと、重役が毎日接待三昧でいわゆる無駄(本当に無駄かどうかは今苦しんでいる飲食業界が異なる意見を持つだろう)なお金を消費し続けていれば、景気や業績が悪くなったときに従業員達は「その無駄なお金をポイント付与に回しませんか」と追求してみることもできるが、接待もゼロ、重役は皆徒歩通勤で旅費交通費は立て替え払いで貯めた個人マイル・ポイントで支払いといった具合に誰も何の無駄使いもしてないと、コスト削減と言えば「能力が低い者から切る」という極めて機械的な判定しかできなくなる。こういう組織では当然“勤続年数”など考慮されない。入社3年目の若者が勤続30年目の50代のおっさんの上司になるかもしれない。もはや人事はAIでいいだろうという組織。

 実際にそうなりつつある。

 断捨離が流行って以来、行き着いた先が「いちばん要らないのは自分じゃないか」という考え(感情)を何度か目にしたことがある。アレは無駄コレは無駄と捨てていってミニマリズムっぽい何かに落ち着くならまだマシだが、自己肯定感の低い日本人はこれといった「核」がないので、社会を俯瞰すると自分という存在が無駄に見えてくる。

 そこが才能あるミニマリズムとの大きな違いであり、例えば一般企業がアップルのミニマリズムデザインを真似たとしても、極限まで贅肉を削ぎ落とした競争の先にあるのは、「収入が減ったらアップル製品を残してお宅の製品をリストラします」となるのがほとんど。

 ※アップル製品はミニマリズムデザインだが、素材には驚くほどお金をかけているので、ミニマリズム=ケチではない。

 なくてはならない存在になるのはなかなか難しい。

 そのくらい多くのモノ・ヒトは、なければないで何とかなる=周辺の適応・順応能力が上回ることが多い。

 だから合理的な社会・時代とは、ほとんどのヒトにとって生きづらくなるだろうと私は思う。冒頭で引用した「行き過ぎた効率化のため冗長性が失われた社会」そのもの。

 寒冷地域の人達が寒さに耐えるために脂肪を蓄えるとか、一見無駄なものにも「いざという時」に役に立つものがある。しかし暖房設備が整っている今の時代では、脂肪が健康リスクになる可能性の方が高く、いざという時に備えるか、「いざという時」が訪れる確率が低ければ優先度を下げるかの判定はヒトが行う。1,000年に一度の地震・津波とか。

 「100%最適化」状態はゆとりがないし転換にコストがかかる。

 考えた結果として「何もしない」「いつも通り」を選択するヒトが大半であり、そこにリーマンショックとか、東日本大震災とか、COVID-19とか、一生に一度ないようなことが立て続けに起きているので現代人は苦しんでいる。

 では何がイチバン無駄にならないのかと問われたら、私なら「勉強」と答えるが、実際にはそうでもない。センスがない人が勉強しても、得た知識を活用する出番を逃すから。知識をひけらかしたがために立場が悪くなる(空気が読めない)人とか。

 数学を無駄とか「大人になって使わないし」と言っている人は、大抵数学を必要としない範囲で生きているのと同じで、本人の人生には無駄かもしれないが、時代的には非常に需要の高い知識であり、要・不要の判定を誤っていることも多々ある。

 今のコロナウイルスについても、日頃から綺麗好きな人(見かけの整理整頓ではなくて目に見えない消毒側の話)は、過去に「綺麗にしすぎると免疫力が下がる」とか言われたことがあるかもしれないが、今はその知識と習慣が自分と近くにいる人を守るのに非常に役立っているはず。

 というわけで、無駄だったか否か、環境に適応できたのか否かは、結果として後から振り返って評価する・されるものなので、リアルタイムには解りにくい。

 私は20年もプログラミングや仕組み作りをしているので、合理的になりすぎないよう私生活ではロマンやムードを大切にしている。誰かが遊びにくるときは、綺麗なグラスやカトラリーを用意したり、花を飾ったり、香りを焚いたり、オシャレしてみたり。

 洗うのがメンドクサイとか言って、シャンパンも白ワインも赤ワインもコニャックも1つのグラスで済ませたり、箸一組で全部食べさせたりしない(笑)。

 そこにかける時間やお金を無駄と捉えるかどうかは、結局のところその人の人間性であり、その人間性が他人や社会との関係性を決定付けていくので、最後は全て(プラスもマイナスも)自分に還ってくるものだと考えている。


 これを書いたのは結構前だが、投稿するのは12月24日なので皆さんメリー・クリスマス🍾🥂🎂。今日のワインはボンド“メルバリー”(2005年)。