「堀江貴文が「海外留学は過去の遺物」と断じる訳 | 学校・受験 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準」

 全てもっともだが、

海外で暮らすこと自体には、意味がある。ずっと同じ場所にとどまるのではなく、行ったことのない場所に行き、そこで生活するのは貴重な経験だ。日本の社会や文化についても、客観的な視点を持てるようになるだろう。
だが、その経験を得るために、高い費用を払って海外留学する必要があるとは思えない。違う土地に行って暮らしてみたいのなら、大学がどうのと言わず、さっさと出かければよいだけのことだ。

問題はソコで、ほとんどの人は何か理由がないと行動しない。それどころ、行動するため、自分を言い聞かせるため(お金の使い道とか)に理由を探している人の方が多い。

 ただの旅行にはお金を出してくれなくても、留学ならお金を出す親・親族は多い。趣味の習い事はダメでも資格を取るための学習費用なら可とか。

 お金を出す側にも投資のセンスが問われ、一般的には目に見える成果・結果を要求したがるもの。それがダメなんだと言ってもその家系に生まれた人はしょうがない。同じ遺伝子だし。

 「さっさと出かければ」ができるのは自立していてお金に余裕がある人なので、そうでない人は「私を海外に行かせた方がいいこれだけの理由」みたいなものを列挙しスポンサー(主に親)からお金を引き出す必要があり、「留学」は比較的成功確率が高い。

ということから、交渉の手段としても「留学」には意味がある。

 多くの人は買い物1つでも理由を欲しがる。レビューを参照し「みんなもイイって言ってるから」という後押しが欲しいとか。その芯のなさがダメなんだと言い出すと、旅行にはお金は出さないが留学なら検討するという解りやすいものにしか投資しない親に育てられた(その時点で投資のセンスがないDNAと家庭環境である)ことを悔いるしかなく(笑)、ひいては遺伝子レベルで生粋のサラリーマン血統かもしれず、こういう話を論じてもそもそも響かないだろう。

 人には段階があり、その家で育つこと自体が虐待だというくらい腐りきった思考の親に元に生まれる人もいる。そういう人はまずは家を出た方が良く、きっかけ作りだけでも試みた方がいい。そこで説得できる確率が少しでも高まるなら、留学は非常に有効な手段だと言える。