まさしく。
物事の重要性を判定する能力がない場合、当然に意味がないように見えてしまう。
「大人になってから数学って使いませんよね?」みたいな人がその代表例。使わなくて良いレベルの仕事をしているから数学が重要に感じられない。で終いには自分が世の中の中心かのように「四則計算ができれば十分」とか平気で言い出したりする。
言うまでもなくそれで十分な仕事とは誰にでもできるので、いずれ機械化されリストラ対象になるし、パンデミック下で在宅ワークが可能な知的な職務ではないだろう。
例えば、ある一点から目をそらすわけにはいかない仕事をしている場合、業務に必要なシグナルを“音色”(または音程)で分けたとする。しかしその音色や音程の差異を聞き分けられない人は「これって意味あります?」と言い出す。
聞き分けられる人にとっては非常に合理的で有効な手法であったとしても、そうでない人にとっては意味がない。
すなわち知覚レベルの違い。
知覚していないと認知に及ばないから当然に思考も発生しない。究極的には存在自体がナイに等しい。特異的無嗅覚症は非常にわかりやすい事例であり、多くのことにあてはまる。
加えて人生経験に乏しいと、物事の関連性が見いだせず点が線につながっていかない。必然的に文脈理解や空気を読む力が弱まる。
生まれつき知覚していないから関係ないと感じるのか、経験が乏しくシナプスがまだ接続(発火)してない(だから関連性が生じない)のかどっちが先かわからないが、どちらも総じて増えている印象があり、全体的に薄っぺらくなってきているように感じる。
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