ヴィトングループと日本企業の違い。

 前稿の通り、アルマン・ド・ブリニャックもヴィトングループ入りしていた。

 世の中、まずシャンパンがあって、何かが始まる。

と言っていいくらい。

 「いいやそんなことはない」という反論もあるだろう。しかし世界の富を握る少なくとも所得上位2%の世界とはそういうもの。特に欧米は。

 お金が動くところにシャンパンあり。お金持ちはパーティーを開く。食事やパーティーの始まりはシャンパンだから、お金とシャンパンはセットと言ってイイ。大統領達の晩餐会もノーベル賞の晩餐会も。

 そこでヴィトングループ(LVMH)の何がスゴいのかというと、80年代にまずモエ・ヘネシーと経営統合した。この“始まり”が全ての始まりと言っていいほどスゴい。日本でキリンビールとヨウジ・ヤマモトが合併したりはしないだろう。

 モエはドンペリやモエ・シャンドン、ヴーヴクリコを作っていて、ヘネシーはコニャック(ブランデー)の名門。

 高級ブランドはVIPを招いてショーやパーティーを開く。その時ヴィトングループ以外のブランドは「シャンパンと言えばドンペリ。パーティーではドンペリを出そう!」とすると、競合するヴィトングループからお酒を仕入れなきゃいけないことになる。「ドンペリがダメならクリュッグで」と言ってもそれもヴィトングループ。

 乾杯1つするのにヴィトンがチラつく時代。気がついたら囲い込まれている状態。

 だからリシュモングループであるカルティエではモエ系シャンパンが出せない(出さない)し、PPRグループのグッチやサンローランも同じく。

 グッチのようにイタリア企業ならフランチャコルタ(イタリア産のスパークリング)でも出せば収まりが良いが、サンローランやカルティエのようなフランス企業はシャンパンを出したいところ。キューバ人がドミニカシガーを吸わないようなもの。ローラン・ペリエ、テタンジェ、ペリエ・ジュエなどの独立系シャンパンしか選択肢がなくなる。

 そこでアルマン・ド・ブリニャックまでヴィトングループ入りしたという段階にある。現在。

 IT業界で言えば、オラクルがデータベースを押さえておけば簡単に他社のシステムに乗り換えられないと考え不動の地位を築いたソレに似ていて、いわゆる白人ビジネスモデルとは、基幹を押さえまずは支配権を手に入れるか、統合パッケージ=全体”(もはやライフスタイル)を提供するかという特徴がある。

 それに対し日本人のビジネスは昔ながら職人の延長線上にあり、1つのことしかできず、「点」止まり。だからパソコンでもiPhoneでも一部分のみを提供する下請け化してしまう。

 例えばファッション系の会社に入り、お酒の勉強が始まったら「ボクはファッションを学びたくてこの業界に入ったんです」的な。その結果「点」としてしか存在できない。

 点と点がつながって線となり面となり実社会を構成しているので、そもそも切り離して考えること自体がおかしいんだが、日本の古典的な教育方針として「1つのことに集中して」「あれもこれも手を出すと中途半端になる」という考え方が影響しているように思う。

 必然的に感性が偏り総合力が失われる。

 私の好きなフェンディもヴィトングループだし、一昨日投稿したベルルッティもそう。私のお気に入りメガネフレームの1つであるフレッドも、そしてディオール、ブルガリ、ティファニー、ゲラン、デビアスも。更には旅行かばんのリモワも。

 そして最近LVMHのCEOは一時的だが世界一の大富豪となった。アマゾンCEOを超えて。

 “色気”と感性(にうったえかけるもの)がお金になる(ブランド力や付加価値を生む)ということを日本企業は学んだ方がイイんじゃないかと思い、かれこれ18年経った。

 日本のクレジットカード業界は欧米企業の見よう見まねでゴールド、プラチナ、ブラックカードとリリースしてきたが、アメックスのセンチュリオンほどのブランド力を築き上げたカード会社はゼロだし、まるで足下にも及ばない。会報誌は色気ゼロでまるでNHKのよう。

 個人的にはココ・シャネルの世界観が好きだが、ビジネス、経済という面ではヴィトングループ最強の時代。

 と、ケムリをふかしつつブラデンーグラスを傾けながら、ふと気付くとグラスの中にあるコニャックはヘネシーのファーストランディング1868で、これもまたヴィトングループ。ヴィトンと合併する前のぶどう(原酒)だが(笑)。