「CNN.co.jp : 男に襲撃された女性警官、居合わせた市民数人が助けに駆け付け 米サンフランシスコ​」

 このニュースを見たとき、私は「周りに人がいて良かった」と思ったんだが、知人宅の小学校の女の子は、「何でおまわりさんは悪いやつをやっつけなかったの?」と真面目に質問してきたらしく、どう教えていくべきかアドバイスを求められた。

 男女の体格差、腕力、体力の差を事実のまま教えるのがイチバンと応えた。

 権利としての平等と、力学的・物理的な違いは全く別領域の話。

 1-2年前までのココ10-12年くらいのアメリカの刑事ドラマ・映画では、女性刑事がいとも簡単に犯人の男を取り押さえるというシーンが描かれていた。下手すると160cmくらいの女性刑事が、190cm以上の男を空手チョップ一発で沈め、抵抗されることもなく手錠をかけるシーンもあった。

 冷静に考えてみてほしい。

 160cm台の女性が190cm以上の犯人(男)と対峙した場合どうなるか。

 銃を構えるしかない。

 素手で取り押さえて手錠をかけられると思ったら大間違い。

 銃を構えている間は相手(大男)は大人しくする。問題は「○○容疑(或いは現行犯)で逮捕する」と告げて手錠をかける時。

 相手の両手を後ろに回し手錠をかけるには両手を使う必要があり銃を仕舞うしかない。簡単に銃を奪われないようホルスターはロックする必要がある。

 すなわち無防備なチークダンスの距離。

 大男にとってはココがチャンス。

 初犯やまともな男なら刑事に抵抗はしないだろうが、ムショ帰りの者や、仮出所の者はもうムショに戻りたくないので、刑事だろうとおかまいなし。凶悪犯ほど。

 だから女性刑事は銃を構えたまま応援を呼ぶしかない。

 結局のところ、この体格差を埋める方法はなく、応援が来るのを待つか、撃つしかない。ドラマや映画のように、大男が観念して抵抗しないと決まっているときを除いて。

 しかしドラマや映画では女性刑事が大男をかるーくやっつけるので、それを見て育った年代にとってこのニュースは衝撃だったらしい。

 10年以上の前のドラマでは女性刑事が犯人を取り押さえずに「銃を抜いた」→「(男性刑事から)怖かったんだろう」と指摘される本来当たり前のシーンが描かれていたのが(怖いというのは正常な反応)、ソレが「女は弱い」という偏見に基づく差別的描写だという意識が高まったのか、この10年は対等に格闘したり(ほとんどの場合女性刑事が勝つ)、取り押さえたりというシーンが当たり前になっていた。

 直近の1年、2年のアメリカのドラマは少しづつ変わってきた。より現実に戻りつつある。さすがにヨーロッパではそういう現実離れしたシーンは少なかったが、アメリカは行き過ぎたフェミニズムで現実を見失いつつあった。

 と言える。

 体格差は体格差であり、男女平等だから小柄な女性が大男に勝てることが保証されているわけではない。決定できるのは八百長だけ。

 戦いを挑む権利は平等であっても、勝てる確率はどちらか一方に偏っていることが多々ある。これは裁判において、「お金持ちの方が良い弁護団を雇えるから勝率が高い」というのと同じで、裁判を起こす権利は平等、裁判官も陪審員も平等に審理してくれるとしても、犯行やありばい、或いは潔白を証明する能力には差がある。学力や知能の差と同じで、弁護士としての能力差。だからいい弁護士を雇える方が強い。

 ヒトは平等であっても均等ではない。

 ちなみに柔道は「小さい者が大きな者を投げ飛ばす」と評価されているが、160cmが190cmを投げるのは困難。背負っても相手の足が付いたままの身長差だから、覆い被られてむしろ身動きできなくなるどころか背後をとられるリスクの方が高い。