「市長会長「美人会長も楽しみに」と連合に言及 識者「セクハラ発言」:朝日新聞デジタル」

 確かにわざわざ「美人会長」と言う必要のないシーンだとは思うが、「美人」もセクハラ扱いされ朝日新聞の記事になる時代なのかと思うと、なかなか難しい時代だなと思う。

 芳野友子会長について知らないので、一般的な女性を対象に考えるとしよう。

 結局のところ、「優秀な人」とは男女問わず大凡上位2%なので、「優秀な」「賢い」という褒め言葉を受ける人は2%しかいない。お世辞や社交辞令を除いて。

 育ちが良い人も少ないし、例えば「高学歴な人」とかだろうか。それも上位10%くらいの人達。

 では「頑張ってる人」とかか。いや恐らく「まるで私達が頑張ってないみたいじゃないか」と外野からヤジが飛ぶ。

 「最後までやり遂げる人」とか。「会長」という役職に就く人はそれが当然であって欲しいし、褒め言葉としてはチープ感がある。むしろ「他に褒めるところがないのか」と指摘されそう。

 そうやって除外していくうちに、「今まで一度も他人から褒められたことがない」という人が増え、平均層の自己肯定感がみるみるうちに下がっていくんじゃないか。


 「容姿以外で評価して欲しい」と思う女性は昔から多い。気持ちはわかる。容姿ばかりに目が向けられ、能力ややる気、仕事っぷりを正当に評価してもらえないと感じるんだろう。

 しかし見た目が評価されたから他はもう評価されないわけではないし、見た目の威力をあまりよくわかってないんじゃないかと思うことが多々ある。

 第一印象とは非常に重要だし、舞台が大きくなればなるほど、能力だけでなく見た目も重要になってくる(ファッションセンスまで評価対象になる)。ロシアの女子フィギュアスケート界なんてまさにソレの最高峰だろう。

 仕事を頑張って上まで上り詰めた際、「でも、彼・彼女は見てくれがイマイチなんだよな」とか「印象が悪いんだよね」「テレビ映りが悪いんだよね」と除外されたり、表舞台に出たはいいものの、見た目や印象が原因で期待した人気や支持率が得られない(結果的に足を引っ張る)方がショックじゃないか。

 私ならそう。

 なぜかというと、努力や仕事っぷりは自分次第で何とかなるが、見た目はほぼ遺伝で知能と同じくどうにもならないから、壁にぶつかったとき為す術がない。だから予めその遺伝子を持っている人達の天井は高く、スタート地点が違う。

 というわけで、当然にTPOやマナーはわきまえつつ、社会は容姿について褒めることをあまり責めすぎない方がイイんじゃないかと私は思う。


 コミュニケーション能力についても同じことが言える。例えば科学者や研究者を指して「彼・彼女は本当に頭がいいんだが、喋りだすと何を言っているか全くわからなくて・・・」「見た目がオタク過ぎて視聴者がチャンネルを変えてしまう」と他の人に表舞台を取られ、その人の方が有名になり「第一人者」としてもてはやされる。当然に収入にも直結する。

 容姿と同じように「コミュニケーション能力じゃなくて、研究の成果を見てほしい」となるところだと思うが、世間にはその成果を正当・精確に判定する能力がない。

 全体とは部分の総和以上の何かとして存在し、他人がどう思うかまで操作できない人間社会で「印象」について過小評価すべきじゃない。

 というのが私の考え。