「小池都知事 安倍元首相の弔問後に演説「世界では『暗殺』という扱いで流れている」【参院選】 | 東スポの社会に関するニュースを掲載」

 「今、国難の時にこそ安倍さんにはもっと頑張ってほしかった」

 現状の日本に対し「国難」という認識だとわかって少し安心した。

 安心することじゃないんだが、危機感があるだけまだ可能性がある。私はこの10年、日に日に日本(日本人)に対する不安が増している。

 まさしくそういう時だからこそ、日本では数少ない全体を指揮できるリーダーが必要。“点”のことは専門家がやればいいことであり、全体を見通せる人があまりにも少ない日本。

 話はリンク先の記事の本題に戻り、「暗殺」という表現は銃撃当初から違和感がある。政敵などが殺し屋を雇い送り込んだわけでもなく、外国の特殊工作員に狙われたわけでもなく、「母親が宗教にのめりこんで破産したのは安倍晋三のせいだ」という逆恨みによる犯行。暗殺とは違う。いわゆる変質者の蛮行であり、それもまた日本っぽいというか、今の日本の主たる脅威の1つというのがまた不安要素。

 私は文化的、宗教的、民族的といった多様性は進んで受け入れるが、変質的な思考にはアレルギーがある。