「万博、「並ばない」はずが大行列 3時間待ちも、集客へ試行錯誤 | 共同通信」

 開幕翌日に投稿したつもりが、そのまま残っていた。


 客を並ばせる(待たせる)。日本人の一番の課題。

 とにかく遅い。1人あたりの生産性が低い

 丁寧であることの満足度をかき消すほど遅い。

 ウェクスラー(成人知能検査)で言うところの「処理速度(PSI)」が特に遅い。


 昔から「日本人は並ぶのが好き」と言われるくらい、日本人はよく並ぶ。数百円のスイーツのために30分でも並ぶ。

 時給1,500円の人が500円のスイーツを買うのに30分並んだら、実質その商品は1,250円なんだが、気にしない人がほとんど。時間の無駄はお金の無駄。

 どこに行っても待たされる(遅い)から並ぶことに抵抗がなくなった(当たり前になった)のか、それとも元々並ぶことに抵抗がない民族だから、待たせる(並ばせる)ことに罪悪感がなくなったのか。どっちが先かワカラナイ。


 三越を見ると日本人がよくわかる。と、私は思っている。日本人代表的な。

 昨年末の銀座三越のシャンデリアナイトがまさに典型例。

 「丁寧さ」が日本式おもてなしの真骨頂であるのだとしても、寒い中、自らが特別招待した経営を支える上位客を何十分も外で待たせることとどっちをとるべきかと問えば、まずは客のことを最優先に考える(できるだけ早く建物の中に招き入れる)のが本来のおもてなしのあるべき姿だが、そこで間違ってしまうのが日本人。

 「自分達はちゃんとしている」を優先してしまう日本人。

 臨機応変に考えるよりも、手順を全うしていることが「真面目」の証として育つことでそうなるんだろう。

 中学校の成績表まではそれでいいかもしれないが。

 サービス業の現場では、もはや待たせるということに全くもって抵抗がなく、それどころか「行列ができる」ということを自慢げに語る文化が定着してしまっている。

 これはIT業界に置き換えると、処理が追いつかずサービスが遅延している状態。機会損失だし、「役務の不履行」と見なされるレッドラインがある。

 例えば、1日3本まで映画を視聴できる低価格な定額制サービスがあったとする。それがサーバーや回線がパンクしていて、1日1本しか視聴できないとなると、定額料金を返せという騒ぎになる。

 どれだけ低価格であっても販売したからには規定のサービスを果たす必要がある。

 だからサーバー台数を増やしたり、時差のある国にサーバーを振り分けたり、回線を増強したり、アクセスが一部に集中しないようロードバランサーを導入したり、あの手この手で「遅延」を解消しようと努める。

 そのために待ち行列推理などを学ぶ。

 これが当たり前だと思うんだが、日本の古典的な商売(店舗)の現場では、「行列ができる」(客を待たせる)がキャッチコピーとして使われ、まるで良いことのように信じ込まれている。

 招待したり予約を受けたからには待たせるべきじゃない。「商売繁盛」とはまた別の話。

 日本の文化として、手前味噌な自画自賛は好まれないことから、「人気がある」ということを「行列ができる」という事実に置き換えて、客観的に「スゴい人気なんです」と謳いたい気持ちはわかるが、インバウンドで外国人客も増えているので、そろそろ客を待たせないという当たり前の努力をした方が良い。

 が、問題は、何をするにしてもとにかく遅い。

 デパートでの支払いも袋詰めも、猛烈に遅い。

 サービス業の現場では何十年も変わってないのに対し、区役所(近々投稿する予定)の職員は昔から非常に手際良くテキパキと処理が早いので、オフィス勤務組とサービス業の現場組とでは、冒頭に書いたPSI(処理速度)の差が著しいと考えられる。

 1つの要因として、サービス業従事者は地方出身の人が大半を占めるので、時間の価値自体が低く見積もられているというのもある。

 例えば年収1億円の人は、2分でスタッフの時給を超えるので(平均的な月22日勤務8時間労働で換算)、そういう人が周りにいる環境で育ったか否かの環境格差も大きい。

 そこは認知改善で何とかなり得る。

 が、もし多くの日本人の遺伝的特性としてPSI(処理速度)が遅いのであれば、PSIを上げる訓練(後天的努力)を小学校あたりから取り入れていかないと、地盤沈下していくのをのんびり眺めてるだけという状況にある。今の日本は。

 とにかく全てが遅い。

 これが万博で「日本の顔」として表出した感しかない。