「人工知能効果」という言葉がある。心理学分野では見聞きしたことはないが、いずれ認知心理学で正式採用されそうな言葉。
コンピューター(ロボット)に実現できたことは実は人間にとって本質的なことではない、と思いたがる人間の心理的な効果のこと。人間の自尊心を守るためと思われる。たとえば最近では、コンピューター将棋ソフトがプロ棋士に勝ったときに、「将棋というのは人工的かつ単純なルールのゲームなので、それをコンピューターがうまく指したからといって当たり前に過ぎない」というような主張がこれにあたる。
そういう思考のヒトが多い(人工知能に限らない)。
ヒトは「知能」に対し特別な感情を持っている。
「IQよりEQの方が大切だ」のように、他の何かを持ち出す時とは、それを持ち合わせていない自分の自尊心を保つためであることが多い。そもそも話のすり替えでしかない。その時点でEQは高くない。
「お金よりもっと大事なものがある」も同じ。お金の重要性ついて話しているとき、何もお金が世界で最も価値のあるものだと思う必要はなく、他に大切なものがあろうとその人の勝手だし話し合うようなことではない。
しかしそう聞こえてしまうのは認知の歪みであり、深層心理としてはソレが欲しくてたまらないから。またはソレを持っていない自分が劣っているように感じたくないから、ソレを無価値化させようとする。いわゆるすっぱい葡萄の心理。
ロボットやAIに支配されることを恐れている人が多い。それは自分がロボットやAIを作る側にいないから。「いずれ置き換えられるかもしれない自分」に対する不安。作っている側は自分が作ったからそこに存在することを知っているので、どこまでいっても作者と作品の関係でしかない。
「宝くじにあたったら運を使い果たしてしまいそうで怖い」という発想も同じく。宝くじの存在が偉大過ぎる。すなわち宝くじがもたらす金額に支配される自分という潜在意識の表出。2億円当たったとしても、東京でマンションを買って10年暮らしたらなくなるので、今まで通り働くしかなく支配されるまでもない。
という具合に、ヒトとは言葉の端々に大凡当人の限界をにおわせている。
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