人口減に伴い、料金収入が減る一方で、水道管など設備の更新費用がかさむためだ。料金(月額)が1万円を超える自治体は31に上り、水道財政の逼迫ぶりが浮かび上がった。
値上げ率が大きい自治体は、人口密度の低い地域に多くみられる。
前々稿の土地・不動産価値の考察と同じく、人口減が将来的な相場や物価に対しどのように作用するのかを考えておかなくてはならないという代表例。
見方を変えると、人口増の時代とは何もしなくてもスケールメリットによって利益が得られるため(外部経済など)、その国の国民が特に優秀だから伸びるというわけではなく、下り坂(人口減)の時にどんな対策が打ち出せるかが真の優秀さや民度を問われるところ。
転び方を見れば運動神経がわかるのと同じ。
水道料金の例から考えると、過疎化が進んだ町や村では、僅か数十人・数百人のために水道を維持しようとするば当然に基本料金が跳ね上がる。全体の維持費÷契約者数だから。
過疎化が進んだ町とは若者がいない=税収が少ないと考えられ、市区町村の財源では維持できなくなり、いっそなくしてどこか一箇所にまとまってくれた方が安上がりということになる。
究極的には、最後の1人のために水道や電力、電話線などを維持し続けなければならないのかという議論に至る。その維持費には税金が投入されるため、たった1人のために使われる税金のパフォーマンスの悪さを不公平だと感じる人達が出てくる。
要は「何であの人ばっかり税金を投入してもらえるの?」という疑問。
すると、自分の子供の学費が安くなる分には「誰のおかげか」など全く考えもしなかった人達が、他人に使われる税金に対する目が厳しく(富の再分配の自分の取り分を主張するように)なり、使い道が常に監視・監査され、税金の取り合いになる。
その結果現在の企業会計と同じく、アレは無駄、コレは無駄と旅費も交通費も接待交際費も削られ、その対象となる業種が萎んでいったのと同じ道を歩むことになる。
すなわち、税金の投入対象が無駄か有効かを争うようになると、最終的には税金による支援が必要な低所得層(或いは地域)が無駄な存在に見えてくるという構造にある。
よって大衆の敵は大衆であると言え、ぶら下がり率の高い日本においては、それ(取り分を巡る争い)が急速に加速する恐れがある。
潤っている間はあたかも自分が一人前かのような気持ちで平和に暮らせるという気楽な時代の終焉でもある。
0コメント