「CNN.co.jp : 米大手企業、相次ぎ従業員にワクチン義務付け グーグルやフェイスブックも」

 当然だと私は思う。

 CO2排出量はうるさく言われるのに、ウイルス拡散量は追求されないのは本来おかしい。

 まだ知識が追いついてないから指摘されずに済んでいるだけで、CO2よりもコロナウイルスの方がはるかに他人に害を及ぼす。

 感染率が社会人偏差値(学歴や収入など全てを含む)の影響を受けず均等だという仮定すると(私はそう思っていないが)、いわゆる大企業ほど従業員数が多いため、比例して感染者が多いということになる。すなわち拡散する量も多いということだから、CO2やらプラスチックごみやらの排出に対し社会的責任をやたら追求されるこの時代において、ウイルスの拡散に責任を持たなくてよいはずがない。

 情報セキュリティと同じで、わかってないから誰の責任かうやむやになりがち。簡単に侵入されて顧客の個人情報をぶちまけられても被害者として振る舞える時代が続いている。それが「ちゃんと鍵をかけなかったから侵入されたんですよ」と仕組みを理解すれば「顧客情報の管理不行き届き」ということになり責任の所在がはっきりする。

 同様にウイルスについても仕組みを理解すれば、企業側が社会の一員としての義務・責務を果たすべきだという結論に行き着くのは当然。

 ここも知能や知性・知識、思考の成熟度の差が出るところだと私は思っている。

 また同時に、社会は偏差値60あたりを境に分断されつつあるように見える。

 私の観察では、(アレルギーなどの事情を除いて)ワクチンを拒否する人達の多くはいわゆる労働者階級が圧倒的に多い。

 簡単に言うといわゆる管理職かそれ以外かで思考がまるで違っていて、この溝は底なしに深い。まさしくキャズム理論のごとく。

 他者へ迷惑をかけた時の責任を考えたら、多少副作用などのデメリットはあっても打っておくべきだと考える管理職思考と、生活がカツカツでなおかついつ切られるかわからない末端労働層の「貧乏くじは引きたくない」的な自己防衛(+被害妄想)思考と2極化しつつある。

 昔「女性が家事」が普通だった時代、男が「一家の大黒柱」としての責任感が問われていた。「もしオレに何かあったとき、女房や子供が食べていけない」と生命保険に入ったりというソレとか。一国一城の主(あるじ)的な。

 が、男女平等・対等の時代に「男が女を養う」というノリは時代遅れになると同時に、多くの人があまり社会や誰かに対する「責任」という意識を持たなくなりつつある。

 一方で大企業はCO2やゴミ排出量、雇用創出、多様性への対応・配慮など、ありとあらゆる社会的責任を追及され、電力は自家発電かつクリーンエネルギー(ソーラーや風力など)にするなど努力しつつ、なおかつウイルスに対しても同じ方向に向かっている。

 興味深いが、格差は開く一方だろうなとも思う。思考の向きが大衆と正反対だから。

 ということから社会人偏差値60あたりを境に今後社会の分断は続くだろうというのが私の見立て。

 50〜59層は下振れしやすいが、「責任」という言葉を聞くと上位層側に付きやすいので、全体としてはちょうんど半分に割れることが多いし増えるだろう。先進国のワクチン接種率がなかなか50%を超えないのも、本質はソコにあると思っている。

 その点幸か不幸か日本は単一民族かつ同調圧力が強いことが手伝って、ワクチン接種率は86%あたりいくんじゃないかと楽観視している。