すると、ヤンデル先生はこう即答した。「『不安だから打ちたくない』って言われたときの最善解は、『不安なんですね〜』しかないですよ」。
カウンセリングの基本である傾聴の模範解答的な。否定も肯定もしなければ共感もしないニュートラルな応答で(無条件の肯定的関心)、相手が子供だったり未成熟な大人(一般的な日本人)には有効だが、そうでない場合はむしろのらりくらり感が不安になり、相談相手をもっと強い主張をする人に変える場合がある。
前者はとにかく話を聞いて(かまって)ほしい人。一般的に日頃自分の気持ちを聞き入れてもらえない(疎外感を感じている)社会的地位の低い層。共感を示せばどちらにでも転ぶ流動的な層であり、悩める時にカルトや陰謀論にはまりやすい。この層の接種率をどう高めていくかという面でみれば、有効な対話手法と言える。
一方後者は決断・決定しなきゃいけない段階に来ている人。一般的に経営陣・管理職などに多い。医療・介護業界や接客業の上層部もそうだろう。例えば会社・職場としてワクチン接種を義務付けるか否かと決定する人達。こういった答えを急ぐ人向きじゃない。
大衆層のケアに手を取られていて、リーダーを動かすリーダー的専門家・発信者が少ないことが分散・分断を招いている感がある。まとまりや方向感がなく散乱している状態。
「もしも「理論上はワクチンを打ったほうがいいに決まってるし、あの学者もあの専門家も打てと言ってる」なんて畳みかけたら、その人の『不安』という気持ちを棚上げしてしまうことになる。そしたらもう相談されなくなってしまうんですよ。一旦、相手の話を全部聞こうぜと。それができる関係であれば、次の次ぐらいの話題の時に『そういえば、あなたはワクチン打ってるよね? 自分も打った方が、いいかな?』って聞いてくれるはず。『お答えパック』は、長い時間軸で編んで。とにかく相手の気持ちに添いましょう、まずは味方ですよと伝えましょう、仲良くすごせるコミュニティを広げてあげるところからでしょう」
私も2年くらい前までの約10年感はそういう時代だなと思って“時代が求める正しさ”に沿って対話してきたが、それによってメッセージ性が薄れ、末端にはむしろ伝わりにくくなってきているように感じる。情報が溢れていて1つ1つの主張の存在が薄まっているという面もある。
東日本大震災でNHKが「逃げて!」と大きな赤い字で画面表示し警告したことが話題になった。「避難勧告・指示が出ています」と言ってもどこか人ごとのようで伝わりにくいと判断したのだろう。
今まさにそういう強い発信が必要とされている段階にある気がしている。
フランスは「自由のためのワクチン接種義務付け」を選んだ。「フランスは自由だ。しかし今感染症の脅威によって我々の自由が脅かされている。再び自由を手にするためにワクチン接種を義務付ける」という考え方。共通の目標を掲げ統制を図るザ・リーダー的思考。
もちろん正義(と当時考えられた)による決断が下された戦争と同じく、後に間違いが判明することもある。
自由の女神が象徴する自由の街・多様性の街ニューヨークもワクチン接種を義務付けようとしている。ワクチンパスポートの提示は義務付けられた。
Google、Twitter、Facebook、Netflixなどもワクチン接種を義務付けた。※彼らは組織全体がキャズム理論で言うところの溝の上側しかいない集団なので統制が取れやすい。個々人に思考を委ねて良い集団。
それに対し日本は、周回遅れて今になって選択の自由やいわゆるポリティカル・コレクトネスが重視され、ワクチン接種にも「自分で考え、自分で決めて」=意志の尊重というスタンスで来ている。
世界的(すなわち国際社会における“時代”)に逆行している感があり、どこか不安がつきまとう。
個々人の意思を尊重しつつも「今感染しても病院のベッドに空きはありませんからね」だと皆保険社会に突然「自己責任」が導入されたようで、何かあれば常に誰かのせい(自己責任の正反対)という日本人には向かない。
そんな日本社会において、古くから“おせっかい”、“世話焼き”が一定レベルで貢献してきた。自分で決めきれない日本人、自信がない日本人、或いは自分で考える力がなく親分(リーダー)についていくことで生きてきた日本人を導いてきた。
が、今は下手にアドバイスしようものなら「それはあなたの意見であって」「押しつけは良くない」と弾かれる時代。それを嫌う意識高い系の人達が“正しさ”を追求しすぎ、「結局何なの?」と路頭に迷う人達を増やしているように思う。
その弱さ(リーダーシップのなさ)を後に悔いることになるかもしれない。
為替や株、仮想通貨など相場取引は完全に個人の自由意志で取引される社会だが、9割は退場で終わる社会でもある。すなわち自由意志・自己責任で好きにさせると9割が失敗するようにできていることを意味する。
他人のことなら正論が言えても、自分のことになるとヒトは平常心を保っていられなくなり、とっさにおかしなことをする生き物。
そろそろワクチンも「打つべきだ」「打ちなさい」でイイんじゃないか。これ以上素人に考えさせ迷わせる時間を与えない方が良い気がしている。時には「時間切れ」も重要。例えば経済はそれを待てないから。特に迷っている20代や単純労働層は最初にお金が底を突く人達でもある。すなわち自分の迷いが経済回復を遅らせ、巡り巡って自らの首を締めることになることを説く必要がある。
というわけで私は先週からスタンスを変えた。アドバイスを求められたら十分に意味や仕組みを説明した上で「予約が取れ次第打ってください」と応えている。今のところ「ハイ」以外の返事はない。恐らく昨今の感染増で不安が増していると思われる。
職場接種で1回目を終え、周囲と比べて副反応が激しく、「もしかしてワクチン接種の前後でコロナウイルスに感染したんじゃないか」「過去に知らずに感染していて既に抗体があり、他人(未感染者)の2回目接種と同じ状態になったんじゃないか」と不安がっている20代女性も2人いた(どちらもモデルナ製)。
前者は病院で検査を、後者にはN(ヌクレオカプシド)抗体検査でワクチンによって産生されたS(スパイクタンパク)抗体を除外し過去の感染歴を調べられることを伝えた。
打たせるまでのケアに留まらず、打った後に生じうる不安を解消してあげることで、20代の接種が進むんじゃないかと私は感じている。そうしないと2回目を打たない人が増える可能性が少なからずある。
迷っている人や不安な人には以上だが、もし「ワクチン、私は打ちたくない」と言われたら、「へー」で終わらせる(笑)。このタイミングでその決断に至った人に、この先時間を含めたコストを割く余裕のある社会ではなくなってきていることを学んでもらう必要がある。
今世界は「私は右に行きます。あなたは左ですね。また逢う日まで」という岐路に立っている。進化論としても大きな転機になるんじゃなかろうか。
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