「(そのセンスが)うらやましい」とは。知覚統合。

 この1年くらいか、デパートやブティックの女性スタッフとか美容師などから(私に対して)「うらやましい」という言葉を頻繁に聞くようになった。

 昔は男と女性は棲み分けていた気がするんだが、最近は競合(?)するようになったのか。

 帰り際とかに突然ボソッと言われることが多く、「欲しいものが買えない」とかだとあまり聞きたくないので(笑)最初は聞き流していたんだが、終いには会う人会う人ほぼ全てというくらいの確率になり、最近は「なぜですか?」と問うてみている。

 「そのセンスが」が9割。

 「前回」「前々回」「その前」と私の格好の細部を見事に記憶している人もいる。

 実際のところ、この10年ほどで“センス”によるオシャレな人が減り、「今、イチバン人気あるのどれですか?」とトレンドを買い漁る客層(全部人気商品で固めているため、見た目は一見オシャレ)に入れ替わったため、ブティックのスタッフは売れ筋商品を運んでレジを打つだけの単純労働化していて、精神的に疲弊している印象がある。それがあからさまな特別扱いとなって私に向けられたりする(詳細はいずれ書こう)。

 売れ筋商品を「コレです」と指さすだけの仕事だと、スタッフはコーディネートの提案で頭(感性)を使わなくていいのでツマラナイのは当然。勉強したことも活かせないし、自分が「コーディネーター」といった肩書きであるという自負も薄れる。

 そこで私を見て、もはや提案することは諦め(笑)、自分も思いっきりオシャレしようと再びやる気を出してみたりするらしいんだが、どうにも上手くいかず、「(そのセンスが)うらやましい」とつい言葉として出てくるっぽい。

 何が上手く行かないのかと聞くと、「色の組み合わせ」「柄の組み合わせ」が多い。

 「色の組み合わせ」は色覚異常の私より遙かに有利なはずなんだが。

 元々ファッション業界では3色以上使うと破綻する(ことが多い)と言われているし、柄物と柄物の組み合わせは難易度の高く、挑戦するなら最後と言われている。

 女性なら柄物のブラウスに柄物のスカーフとか。

 私は5色、6色使うことも多々あり、更には柄物と柄物を組み合わせ、柄物で締め上げる(笑)ことをよくやる。

 非常にしばしば外国人女性達から「何でまとまるのかワカラナイ」とさえ言われる。

 これを人種に置き換え「なぜアメリカが1つ(かつ最強)であり続けられるのかワカラナイ」と考えたら、カオスに見えるものの中に、ソレを統合する何かが存在すると言える。

 今日の本題はソコ。

 だから私に教科書通り「上から下まで3色以内の同系色で合わせる」といった基本的なことを提案しても仕方なく、入ってきた瞬間、提案するよりも「自分も何か新しいことをやってみよう」と思うらしい。

 刺激になっているのだとすればよしとしよう。

 しかし才能(その根源である感性)とは有限であり、富と同じく格差がある。

 更に、ファッション(デザイン構成)とは中盤まではセンス(感覚、感性)。その先は知能の領域だと私は思っている。

 計算され尽くしたミニマリズムと、ただ貧乏で削り取った(或いは我慢した)だけのミニマリズムの違いのように、「計算され尽くしたミニマリズム」は頭も良くないと完成しない。

 例えばデザインの要素の構成比(柄の形や大きさの組み合わせなど、それによって痩せて見えるとか太って見えるとか)を決めるのを「バランス感覚」と呼ぶならば、何かと黄金比にまとまっている人がいる。一流のデザイナーやアーティストは大抵そう。本人は特に電卓を叩くわけでもないから「芸術とは計算(思考)ではなく感性によるものだ」と主張されやすいが(その方が大衆にウケるから)、実際には普段当たり前に(リアルタイムに文章を組み立てながら)言語を喋るように、視覚情報が黄金比に分解され瞬時に再構築・再構成、またはリバランスされていると思われる。

 無意識な思考。

 音楽で言えば「バッハは数学だ」という人もいるように、感性も高次の領域になると知能と統合される。

 いわゆる本当の意味での知覚統合

 ソコの解りやすい例として、衝動を抑えるのは理性だが、理性の方向性や性質を決めるのは知能(思考力)であるように、知能と感性は分離されるものではない。

 例えば「税金は払わなきゃだめ」とどれだけ教わっても、払わないとどうなるのか(誰が代わりに働き支払っているのか)など社会全体や根本を考えるには思考力と一定の知識が必要で、倫理・道徳観念というのも、最終的には「真面目さ」という単純なものではなく、知能と統合される。

 ※刑務所内でIQを測定すると、短絡的かつ衝動的な犯罪者(暴行とか)の知能が低いとされるのはそういうことだろう。少し考えたら、そんなことでムショ行きになるのは割に合わない(これも1つの計算)と導かれるはずだから。

 アップルやダイソンなどの優れたデザインも「ただのファッショナブルな人」に完成させられるものではなく、「計算され尽くした知的なデザイン」であることは一目瞭然。

 見方を変えると、センスがイマイチな人とは、どこかで演算がズレている可能性があるとも言える。または知覚の統合度合いが低いか。

 パソコンで言えばGPUの処理能力に難ありか、全体を統合する構造にボトルネックがあるのか、或いはコントローラの性能が低いのか。

 欧米の知的層は、アートもファッションも音楽も食もダンスもという人が多い。環境的な感覚刺激の多さからくるものなのか、人種的多様性がもたらすものなのかワカラナイが、日本人の脳は1つ1つが分離していて統合されてない印象がある。何か1つだけが得意という人が多い。

 勉強の仕方も「教科書を極めて試験に合格する」ことが目的となっていて、教科書で学んだことを社会でどのように活用・応用するかとなると二の次どころか「それを教えるのが上司の仕事だろう」と割り切っている人が多い。「教えてくれないんだから、できなくて当たり前じゃん」的な。

 要は「指示がない」という考え方。

 ということはいずれ機械に置き換えられる。基礎的なことほど機械は得意だから。

 色彩も「同系色で3色以内」程度の判定なら、写真を撮ってRGBデータに置き換え解析し、色の分布と度合いから「色彩統合度」を算出することくらいは今すぐにでもできる。しかしそれが美しいか、素晴らしいか(ヒトが好むか)を判定する“センス”の領域になると機械の苦手分野であり、本来は専門職の出番。

 そこでセンスが突出していれば「あのスタッフに相談しよう」とカリスマコーディネーターが誕生するんだろうが、基礎的なことばかりやってると、買い手も「イチバン売れてるのどれ? はいはい、同系色3色以内で」という具合に、学校の試験のように“暗記”でやり過ごせるようになり、“コーディネーター”であるはずのスタッフはただのレジ打ちと化する。

 特に量産型ファッションはパターンを統計分析しやすい分AIが有利。

 いずれブティックで箱の中に入り、写真を撮ってAI判定というのが主流になるかもしれない。

 ヒトの能力が本当の意味で必要とされその対価が支払われるのは、どの業界も上位2%くらいになるんじゃないかと思う今日この頃。