イギリスのテレビ・レポーターからの「キエフで略奪が起きていないか?」という質問に女史は苛立ち、この質問はウクライナ人の精神状態の根本をきちんと理解していないからだと指摘し、ウクライナの店はオープンしているし、病院は診療を続けて病人やけが人を治療し、消防士は爆撃の恐れがあるにも拘らず任務を継続している。郵便局は配達を休まず、鉄道も運行し東部の前線からの避難民を運んでいる。確かにATMに行列は出来ているが、人々は尊厳を維持し、ユーモアさえ忘れずに並んでいる。輸血や軍への志願の手続きの為の行列はもっと長い、と記している。
ウクライナ人は、戦争が起きたからどさくさに紛れて略奪という人種ではない。まさしく「この質問はウクライナ人の精神状態の根本をきちんと理解していないから」そのもの。
略奪が起きないのは決して日本だけじゃない。
今ロシア人を良く言っても説得力がないのは承知の上であえて言えば、ウクライナやロシア人の本質は繊細で優しく助け合う心を持っていて、私から見ればかつての日本人に似ている。
私は東スラブ民族と相性が良いし好き。
しかし彼・彼女ら(特にロシア)は世界大戦の頃の日本と同じく指導者の方向性に恵まれなかった。生まれながらにして(当時で言う)「社会主義国」(いわゆる「西側」の反対の意)という仲間ハズレ(疎外)感も大きいだろう。
※本来経済の在り方を問うても仕方ないんだが、昔から民主主義の対義語のように社会主義が使われてきた。社会主義の本来の対義語は資本主義。
日本も第2次世界大戦で負けていなければ、今頃ナチスドイツとムッソリーニ体制を引き継ぐイタリアと連合を組んだままだったかもしれない。
古典的な「黒人と白人」という分類と同じで、黒人だと警官に撃たれるが、白人なら連行されて事情聴取で済むという違いのように、「(元)社会主義国の奴らは」というレッテルが人を変えてしまう面がある。
初めから疑われるとわかっていれば、何もしてなくても隠そうとしてみたりする。その挙動がますます不信感を招くという悪循環。
昭和の日本で言えば「あの地域の人達は」といういわゆる部落問題だったり、インターネット社会になってからは、何か悪質な事件が起きる度に「中国人だろ」「朝鮮人だろ」「日本人はそんなことしない」という決めつけのソレのように、疑われる前提の人生を歩めば誰だって自己肯定感が揺らぐ。
育ちというのは重要で、ほぼ同じ遺伝子であるはずのウクライナ人、ロシア人は性格が異なる。ロシアは資源大国なので、特に他国が攻めてきたり揉めたりしなければ自分達は食べていけるので、ロシア(プーチン大統領の場合は「旧ソ国」)のことは放っておいてというところがある。
一方ウクライナは資源がなく貧しいので、ウクライナ人は自ら進んで努力するし、できるだけ多方面との付き合いを重視する傾向がある。いわゆるツテとかコネとかが重要だから。
という具合に、同じ民族で遺伝子が似ていても、育った環境によって性格が変わる。
「西側スタンダード」に馴染めないのはロシアに限らない。中国や中東諸国も同じ。歩み寄るか爆発するかのどちらか。大抵は。
難しい問題だがいわゆる西側・東側の双方が適応していく必要がある。
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