天才なのに●●できないのか。という考え方。

 少し前に、天才という言葉が出てくるニュース記事のコメント欄で、「天才なのに、●●できないのか」という内容を見た。結果が期待に反したようで。

 「天才なら●●できて当然だろう」と割と畑違いのことまで要求する天才万能論は昔から見聞きする考え方なので何か目新しいわけではないんだが、改めてその理屈について考えてみると、天才とは生得的な才能なので、もし天才が万能(全知全能)なのだとすると、何のために凡人は生まれてくるのかということにならないか。

 仮に、生まれながらにして万能な者がいるのであれば、生まれながらにして特に何も秀でてない者が生まれてくる必要性がない。

 天才を引き立てるためのエキストラか。

 そもそも全知全能と凡人を同じヒトとして分類すべきなのか。

 と、考えると矛盾が生じる。と言うか、圧倒的大多数の凡人の存在意義が危うくなる。

 天才であってもできないことがあり、得手不得手があり、失敗することがあり、性格的な面から必要な時に能力が発揮できなかったり、その他の要素(見た目とか喋りとか)によって高く評価されなかったりするからこそ、凡人にもチャンスがある。

 そして人々は補い合い、共に切磋琢磨する。

 と、考える方が自然かつ凡人にとって希望があるはずなんだが。「全てのこと(人)に意味がある」が前提ならば。

 ヒトの認知とは本当にオモシロイ。落とし所はどこなのかなと思うことがよくある。