真面目さと合理性と革新性の対立。

 私は男女問わず真面目な人が付き合いやすい。そこはかなり古典的。

 が、真面目な人とは大抵生真面目である事が多く、合理的な話ができない人の方が多い。

 今すぐ答えが出ないようなことを細部までつめようとすると失われる時間による損失が大きい。そこで当面の落とし所を見つけ、まずは前進する必要がある。そこが合理性。

 が、生真面目な人は、「妥協できない」「信念は曲げられない」みたいなことを言いだし、最終的には自分の正義感が全てであり、周りが疲弊する。ナルシシズムの1つ。主観的な正義感とは必ずしも真ではないから。じゃぁそこ(失われた時間)のお金は誰が出すの?的な。人件費も報酬もゼロならイイんだが。

 という具合に、大人の社会とは常に現実と向き合う必要がある。

 一方合理的な人とは、細部に渡るディティールが丸い(アバウト)なことが多い。何でもかんでも全部四捨五入していると、処理は速いが累積で非常に大きな誤差が出る。後始末が大変。

 会話の中で記憶しやすいのは当然四捨五入された丸い値だが、エクセルでそこを削る必要がない。

 また場所を選ばず合理的な考えを示すと、繊細な人や人情など感情を重視する人から嫌われやすい。「その努力をした人のことも考えてよ」「そんなに簡単に切り捨てていいの?」的な。仕事ができるつもりの男と女性陣の隔たりの理由の1つでもある。すなわち人口の半分を敵に回すリスクが初めから高い。

 そして革新性。自分は革新的だと思っている人ほど「出る杭は打たれる」とか言いながら、自分が上手く行かないのを環境のせいにしていることが多く、ただ突拍子もないこと言って圧倒的大多数を振り回しているだけのことが多い。すなわち手間=時間=お金がかかる。コスト。

 革新的っぽければ社会性・協調性がなくてもいいことにはならない。ロックミュージシャンを名乗れば何でも破壊していいわけではないのと同じ。

 それらを全て上書きするほどの能力として「人徳」とか「カリスマ性」または「スター性」があるが、その領域になるといわゆる“別格”なのでココでは取りあげない。

 ※例えば同じことを言っているのに炎上する人と称賛される人の違いみたいなもの。「全体とは部分の総和以上の何かである」というホーリズムを感じる。

 これらの真面目さと合理性と革新性をバランス良く持った人が付き合いやすい。私は。何かサヴァン症候群のような特殊かつ突出した能力はなくて良いので、全体的にバランスが良く安定している人。非常に少ない。

 真面目なだけで古典的すぎてイノベーションに弱い人も困る。いつまでも電話で・直接会ってとか言われると、付き合う側が疲れる。声を聞かないと不安、顔を見ないと不安という人はこれからの時代を生き抜く能力が足りないので、将来が期待できない。

 いわゆる“ハンコ”問題と同じ。

 ハンコを押せば(もらえば)真面目というわけではなく、ハンコがあってもなくても真面目な人は真面目であり、会って話したから安心というわけではなく、対面でも詐欺に遭う人が多いということは、そもそも人を見る目がない人は会っても失敗するということ。

 「直接会って、目を見てそう言った」という行為を信じているだけで、本質を見抜く力がない人がほとんど。

 「空気が読めない」とはその辺も含めた能力だと私は思っている。

 当然に空気が読めない人はエルパトもロレックスマラソンも上手くいかないどころか、恋愛も同じく。自分がどう思うか(何が欲しいか)ではなく、相手がどう思っているか(どうしたいか)或いは時代が何を求めているのかを感じ取る必要がある。

 それができる人は、必然的に真面目さと合理性と革新性を受け入れることができ、すなわちそれが現代社会における「知能」の実体ではないかと思う。