ルッキズム批判の裏側で。

 昭和の時代は「ハンサム」「美人」「ナイスバディ」は褒め言葉として当たり前に使われていた言葉だったが、平成を挟んで令和社会において、見た目を高く評価するいわゆるルッキズムは、メディア等で表向き批判の対象となりつつある。

 その裏側で、この10年ほど私が話した20代の女性達(美容師、歯科衛生士、アロマセラピスト、美容部員などサービス業従事者が主)は、男性に求めるものは性格、所得、顔のどれかと尋ねると、8-9割方「顔」と答える。

 昭和の頃は「顔が良くてもね」「お金持っててもね」と言いつつ、最終的に性格を選ぶ女性が多かったと思うんだが。

 ソレは置いといて。

 表向きのアンチルッキズムとこのギャップは何なのか。

 コロナ禍で忘年会・新年会がなくなり、報道記事では「せいせいしている。実は苦痛だった」という声を多数紹介していた。

 同じくマスクを着用するようになって「メイクの手間が省ける」という女性の声も多く挙げられていた。

 飲み会もメイクも「なくていいもの」「昭和のなごり」とでも言いたげな。

 しかし。

 コロナ明けではうちの半径500mはどんなに小さい飲食店も毎晩定員オーバー(外に椅子テーブルを出しているところも)というほど満席・大騒ぎで、化粧品各社も売上絶好調という勢い。

 すなわち、メディア(の一部)とは、それらの「勢い」に対する反感を記事にしている感が強く、言って見れば記者の「みんなもこう思ってるはず」という偏見でしかないことが多い。

 残念ながら。

 親にファミコンを買ってもらうのに「ミンナ持ってる」というソレに似ている。

 極めて偏った個人的見解でしかない。

 単に、人付き合いが苦手な単独行動を好む人が記者をやっている確率が高いということもあるかもしれない。

 また別の見方をすれば、(男性)記者達の反感を買うほど世の女性達が男性に「顔」を求めていることの反動なのかなとも思う。

 私はこの流れを自然だと受け止めている。

 昭和の「妻は夫に食べさせてもらう」文化においては、夫の所得は重要だっただろうし、「入籍したら同じ墓に入る」文化にあれば当然長年連れ添う上で性格も重要なのは言うまでもない。

 それが夫の所得に頼れない、結婚自体いつまで続くかワカラナイという令和時代では、とりあえず「一緒にいて気分がイイ相手」であれば一時的であろうと永続的であろうと精神衛生上よろしいという合理的な理由で「顔」が選ばれるんだろう。

 当然かなと思う。

 他に優先されるものがあれば「顔」は諦めるが、パートナーの稼ぎや性格に期待できないのであれば、せめて顔だけでもというのは「全部捨てて顔にかける」という意気込みさえ感じる(笑)。

 「はらたいらに全部」的な。

 私は昔から見た目は極めて重要だと説き続けてきた。能力が拮抗すると最後は見た目勝負だから。

 というわけで、顔は今更変えられないので、自分の努力次第で何とかなる領域だけでも何とかしていきたい(笑)。