判決の内容よりも、判決文の秀逸さに驚いた。国語(読解力)のテストに使えそうなくらい。
また、西村氏の「とんかつ定食を頼んだら、肝心のとんかつが出て来なかった」という主張について裁判長は、<原告代表者(西村氏)の陳述書中には、本件第4試合でレフェリーシャツの胸の本件ロゴが掲出されなかったことは、とんかつ定食でとんかつがなかったのと同じであるとの記載部分があるが、客観的に評価すれば、このことは、いわばとんかつの真ん中あたりの幾切れかが提供されなかったものというべきである>(判決文より)
まさしく。
賢く人間味がある(笑)。
それに対する、
「とんかつがまるまる出て来なかったのではなくて、一番おいしい真ん中の部分が提供されなかった」という見解を示したのだった。
は、バイアスと主観が入っていてちょっと違う。
判決文では「一番おいしい」とは全く言ってなくて、「真ん中あたりの幾切れか」であり、文脈理解としては「もっとも期待されたと思われる部分の一部」ということだろう。
例に出されたとんかつにおいて、中心部とその周りで本質的な価値の差があるかというとそうではなく(肉の大きさとカットの仕方にもよるが)、むしろ端のロースの脂部分が好きという日本人も多いことから、「一番おいしい真ん中の部分」という前提が成り立たない(裁判等では使えない)。
しかし、Tシャツの胸の部分のロゴ掲出に期待していた原告(スポンサー)の気持ちを汲み取るところ、「特に期待されたであろう部分の一部が提供されなかった」(かといって何も提供されなかったわけではない)と表現する上で、優れた国語力だなと思う。
スポンサードの価値とは、必ずしも期待していた露出が最も優れたパフォーマンスを示すとは限らず、その後の訴訟や炎上が最も話題を呼ぶこともある。
少なくともこの訴訟の判決文の秀逸さがなければ、私は関心がないままだった。
0コメント