芸能界の動向については全く詳しくないが、社会全体の思考が成熟しつつあることも女優の考えに影響を与えているだろう。
フェミニズムや男女平等を論じる際の思考の初期段階では、「世の中を動かしている男達に女性達が搾取されている」(搾取とは性的だったり賃金格差だったり)と考え、これを是正しようと反発心が増す。
コレは良い。
しかしソコから分岐し、過去の社会(や男達)に対する嫌悪感が上回り(ミサンドリー)、女性が自分の意志で美貌を売りにすることまで制限しようとする。「男に媚びている」「カワイソー」という発想。
いわゆる足の引っ張り合いが生じる。女性の敵は女性になる瞬間でもある。
これは黒人が差別を克服し(是正され)社会進出を望む気持ちは皆同じでも、いち早く白人社会で成功した黒人は裏切り者扱いされたりするソレに似ている。本来突破口を切り開いた人達なんだが、それが能力差によるものではなく、白人に媚びて成功したと考えたい人達がいる(嫉妬)。
厳しい環境下で誰かが成功してしまうと「能力はあっても壁(ガラスの天井)があって成功できない」と言えなくなるから。すなわちセルフハンディキャッピングの材料がなくなり、結果として「アンタの能力・努力不足なんじゃない?」という流れになるから。
そういった心理は世界共通で、人はどれくらい簡単だったかよりも、どのくらい大変だったか、どれだけ苦労したかを語りたがる。そうした方が風当たりが和らぐからだろう。
話は戻って、自立した大人の女性の決断に口を挟むようになった時点で、保護者・扶養者の発想であり、「彼女達を男達の搾取から救ってあげなきゃいけない」という上から目線の思考回路だと言える。
男支配から解放されたかと思えば今度は同性支配が始まる。
この数年はフェミニズム極右(?)層では「慈悲的差別」という言葉も良く聞くようになった。男性が重い荷物を持ってあげるとか、ドアを開けてあげるとか、レストランで椅子をひいてあげるとか、道路の車道側を男性が歩くとか、こういう行為は全て女性を見下している、男性の方が強いという前提(上から目線)で行われているという考え方であり(被害妄想に近い(笑))、要は「自分のことは自分でできる。余計なお世話」という人達が一定数いる。
「手を借りたら負け」的な。
早く大人になりたい思春期の子供に似ている。
※この15年くらいアメリカのドラマでは、160cm台の華奢な女性が190cmを超える大男を片手チョップで倒すようなシーンが多く、それを見て育った子供達は勘違いを軌道修正するのに時間がかかるだろう。体格はまだ均等ではない。最近そういうシーンが少しづつだが減ってきた。
この奇妙なまでの「同じ」を受け入れるならば、成人女性の決断に他人が口を挟むなんぞもっての他ということ。
例えば年収何十億というヴィクシーモデルに「下着や水着でステージの上を歩かされてカワイソー」と言っても、ヴィクシーモデルからすれば「安月給で男達にこき使われているアンタ達の方がカワイソー」という話であり(お金を持ってる方が叩かれやすいから言わないだけで)、間違っても考え改めスーパーのレジ打ちに転職したりはしない。
時給100円上げるのに上司のパワハラ・セクハラも我慢しなきゃいけない女性達の方が気の毒なのであり、男よりも稼ぎ、男よりも納税し(社会に貢献し)、男達の指図や支配を受けずに生活できている自立した女性にとやかく言う筋合いはない。
最終的には全ての大人は自己責任下にあり、自分の決断・行動には常に責任がつきまとうという当たり前の結論に行き着く。
アメリカはこういう流れに敏感であり、ドラマのキャラクター設定にも変化が見られた。
2005年頃までは、「娼婦」(売春婦)は大方ドラッグの過剰摂取やマフィア絡み、人生転がり落ちて自殺、またはシリアルキラーに「社会を掃除する」と目を付けられ惨殺されたり、とにかく死ぬのがお決まりだった。
しかしここ15年くらいで「高級娼婦」というキャラクターが非常にしばしば登場するようになった。
刑事らのやり取りには「一晩で100万円だってよ」「月に1-2時間働くだけでオレ達よりいい生活できるのか」という会話があり、搾取されているのはどっちなのかというメッセージ性を感じるようになった。
高級娼婦は死なないどころか、美人でそれなりに有名な女優をゲストとして使うことがあり、中には有名大卒の賢くてお金持ちのお嬢さん(ある果たすべき目的があって)という設定もあった。
「相手(客)も社会的地位が高く、健康や家族にも気を遣っているのでむしろ安全」というセリフも聞いたことがある。
売春が違法である国は違法ビジネスであることに変わりないが、売春が合法化されている国では個人事業者として普通に納税するので、所得が高ければ高いほど当然に納税額が多い。
と言う具合に社会の思考は成熟しつつある。
これらは決して売春を肯定しているわけでも高級娼婦を先進的ビジネスとして評価しているわけではなく(そもそも売春は世界最古のビジネスと呼ばれている)、マイケル・サンデルの「今日は既得権者による搾取について話をしよう」的な問いかけだと受け止めている。
話は戻って、グラビアなんて全くもって合法であり、「若い頃お金に困ってやりたくもない仕事をした」というならそれは大人の男達(実は女性かもしれないが)に搾取された=消したい過去と化するかもしれないが、自分で仕事を選び、自ら水着姿を披露するという本人の決断を尊重しないければ、いつまで立っても女性が自立する社会は訪れない。
美貌(美ボディ)は才能や知能と同列に扱うべきものであり、それを換金するのは本人の自由。
後で「やっぱやらなきゃよかった」と思っても今はインターネットを通じて保存され一生残る時代だし、コラージュなどで悪用されたりもする。そういった事例を見聞きしながら人は学び、私はする・しないの決断をし、バランスの取れたところで収束するようになっている。
「(あなたのためを思って)やめといた方がいいよ」と言うのは非常に簡単だが、その忠告によって止めたことで失われた利益や機会損失を補填することはできない。
例えば水着写真集を出版することでN億円儲かって、そのお金を資本金に新事業を立ち上げてという展開を奪うことになるかもしれない。
或いは「借金があって返済が滞っていて家を失いそう」という女性が、自らの美貌を売りに写真集を出すことで家を失わずに済むのであればそれでいい。「やめておいた方がいい。借金は肩代わりするよ」と言うなら別だが。
もちろんこれは成人の話であって、未成年の場合は今考えられる最善の選択へと導くのが親や保護者、大人の仕事。
というわけで、容姿とその需要から利益を生むことは本人の当然の権利であり、美しい女性はその美しさを謳歌する時代が来るだろう。男性も然り。
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