(無意識な)差別の根底にあるもの。

 数年前、どこかの国のスターバックスで、アジア人客のカップに細い目のイラストを描いて渡したことが差別だという騒ぎがあった。

 当人に差別心があったかどうかは確認のしようがないのでそこはおいといて、そもそも差別とは何なのか。

 ※明確な意図をもったあからさまな差別はわかりやすいのでここでは除外する。

 黒人が黒いのは事実だし、白人が白く、アジア人が黄色いのも事実。Photoshopのスポイトは嘘を付かない。そこに優劣を設けた時点で差別と化する。「黒人は黒くない、皆一緒だ」は当然におかしい。だから日本発の人の顔の絵文字も海外に出てから多くの色が加えられた。「黒い」と言うことが可哀想だと少しでも思うならば、それは自分が黒くないことの優越感から見下しているのだろう。本来黒いことは何も可哀想なことではない。

 では「細い目」はどうか。実際にアジア人の目はほとんどの場合白人・黒人よりも細い。事実だ。

 細い目のアジア人が欧米人のイラストレーターに似顔絵を頼んだ際、仕上がりが大きな目だったらどうだろう。恐らく「細い目で描くと可哀想」という同情配慮(コレが問題)によるものだと考えられる。或いは「事実に忠実に細く描くとアジア人が怒る」ことへの対応かもしれない。

 この「細い目は可哀想」が差別の根底にあるものであり、「細い目は大きな目に劣っている」「きっと大きな目で描くと喜ぶだろう(細く描くと怒るだろう)」という前提にある。

 すなわちそこに優劣(の感情・認知)がある。

 ではこの細い目を描いたスタッフはどうか。差別心なんてなく、大きな目が優れているなんて思ってもいなくて、事実のまま描いた(すなわち加工前の写真と同じ)かもしれない。

 ※残念ながらアジアには目を大きくパッチリさせるアプリが溢れているので、アジア側が大きな目に憧れている(細い目に劣等感を抱いている)状況。

 そこで無意識(意図的なものを除く)の差別心の根源とは、

●自分が優れていると思っている側が、劣っていると思っている側に同情・配慮した時。

●自分が劣っていると思っている側が、優れていると思っている側に見下されたと感じた時。

のどちらかまたは両方で生じると言える。

 「カップに細い目を描かれた。バカにされた」と思うのだとすれば、大きな目を持つ優れた人から見下されたという被害妄想であり、そもそもそこの優劣認知に問題があるんじゃないか。

と私は思う。

 これが今「細い目が美しい」「欧米女性達が憧れている」と世界中で細い目が流行った場合、細い目の人はそれを誇らしく思うのであり、カップに細い目を描かれても差別だと感じなくなるのだとすれば、優越感劣等感から仕立て上げられる差別問題が一定数を占める印象がある。

 すなわち事実を事実として受け止められないほどに認知が歪んでいると、何でもないことを大問題に発展させてしまいかねない。

 これは知覚(入力)後に認知(処理)によってデータが歪められる過程そのものであり、「「性的写真を撮れないスマホつくって!」 NPO団体がアップルとグーグルに「要望」準備 - 弁護士ドットコム」でも書いた、撮った写真(入力データ)全てを毎回AI(機械の認知)を介することに賛成しない理由でもある。端末操作者のほとんどが、AIの認知が歪んでいるか正常かを判定する知識も能力もないから、判断をAIに委ねる=人間の判定の上位に置く=支配・制御下に置かれることを意味する。

 というわけで、認知とは非常に重要なキーワード。