日本は消費者物価指数などから表向き物価は横ばいということになっている。
1つ1つのモノの小売価格に変動がないことを意味しているが、先進国水準の生活をする上で要求されるモノの数・種類が増えている場合は、実際に消費者が感じる物価感とは乖離する。
例えば10年前はA、B、Cという生活必需品があれば事足り、10年経った今もA、B、Cの価格は変わってない場合物価は“横ばい”だが、DもEもFも「あった方が良い」という多種多様かつ複雑な時代においては、価格が変動したかどうかよりも、必要とする絶対数(種類)が増えているため消費者は物価高だと感じる。
モノの価格も給与も横ばいでも、現状のパンデミック下のように突如リモートワークが導入され、自宅にパソコンもプリンタもスキャナもコピー機もあった方が良いというケースが当てはまる。
更には長時間座っていて疲れない高性能(高級)な椅子なども含まれ、この2年近く、20万円を超える高級なワーキングチェアが半年待ちという状態が続いている。
なければないで現行給与をもらえるだけの仕事はできるが(なくても何とかなるから会社からは支給されないため、持っている人と差が付きやすい)、同僚よりも高いパフォーマンスを提供し、将来的な収入を上げたい(すなわち出世したい)場合はあった方が良いというモノが沢山ある。
なければないでやり過ごせても、あればあったでその結果3年後以降に得られるだろう+αの収入に対する先出し型の消費(≒先行投資)が増えてくると、モノの値段は変わらなくても物価高感が出る。
要は自分の給与で全部揃えられない=生活が大変=物価が高いという認知。
パソコンもパンデミック前なら夫婦で1台で足りていた家庭も、リモートワーク下では占有時間が長くなるため1人1台あった方が良いと感じるだろう。同時に前述の椅子もあった方が良いと感じるだろうし、アーロンチェアのような椅子にはそれなりのデスクが相応しいから、それも2台揃えましょうとなると、大きな部屋が必要だということになる。
最終的には家に居る時間が長いんだから、家にお金をかけるようになり、パンデミック前は「どうせ帰って寝るだけだし」と思っていた家に対する考え方も変わるだろう。
そうやって時代に対応し環境を整えていく家庭の話を聞くと、「じゃぁうちも」と思う人が増え、なければないで何とかなるんだが、あればあった方が遙かに良いモノの値段に驚くことになる。
普段あまり気にしてなかった分野の価格が気になり出すと表現した方が直感的だろうか。
そして物価高だと感じる。
ということから、今は所得格差がアンプを挟んだかのように増幅されやすい時期だと言え、その時期の積み重ねが更に数年後の格差を拡大させると考えられる。
言い換えると今が勝負。
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