最近の値上げラッシュで「ここまで高くなると目も厳しくなる」という言葉を何度か見聞きした。
要は「価格に見合うか」という角度。
しかし、現状立場は逆転していて、消費者が選ぶ側ではなくなっている。
燃料費の高騰や為替の変動など、環境要因・物価高による値上げ(リプライシング)と、純粋な商品の値上げは、消費者にとって値札が変わるという意味では同じかもしれないが、潜在的な意味が違う。
コストが上がって値上げする場合、それは物価高要因なので選択の余地がない。早かれ遅かれ全体が上がるから。
人気商品やブランド力の高まったメーカーが単に商品の値上げを行う場合、消費者はその値段に見合った価値があるか否かを見極め、買う・買わないを選択できる。「そんなに高いんだったらA商品はやめて他社のB商品にする」という合理的な判断ができる。「ブランドのロゴは要らない」とか。
一方、物価高による値上げは、不可抗力。
生活必需品や水道光熱費などを除けば「買う・買わない」の選択ができたとしても、価値が価格に見合うか否かを判断するという段階ではなく、自分の収入が物価という生活環境に対応できるか否かが問われている段階にある。
選ぶのは環境(物価)側。
すなわち、自分が価格を見て選んでいるつもりでも、実体としては物価側が「全体的にNN%上がるけどアンタ生活できるの?」と適応できる人間を選んでいる状態にある。
宇宙から見れば「物価上昇率NN%フィルター」の網の上で人間がふるいにかけられている状態。
そして「買わない」と選択したつもりでも、実質今まで買えていたものが買えなくなったり、グレードを下げるしかなくなたりすることで、生活水準・文化水準が下がり、いつしか「格差」という言葉に敏感に反応することになる。
ということから、この値上げは何なのかという本質を読み解く必要があり、昨今の値上げは「値上げ」と呼ぶより、リプライシング(再値付け)。
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