「哲学界を二分する「ニューカムのパラドックス」が難問すぎる! 量子力学の謎を解くヒントがここに!? - TOCANA」

 私にはコレの何がパラドックスなのか解らない(笑)。私は何も迷わずに黒い箱だけを開ける。

 過去多くの人を悩ませてきた(らしい)のは、黒い箱のみを開け1億円を獲得した後に、数秒前(箱設置後〜開ける前)に時間を巻き戻して両方の箱を開けたら黒い箱は空なのかという視点らしい。シュレディンガーの猫のような。

 時間を巻き戻せるならその疑問は成り立つが、箱を選択して開けるという行動は1回のみであり、その1回を予測するという設定だから、時間を巻き戻して両方試してみるべきじゃない。

 更には、人の行動を完全に予測できた時点で「自由意志は存在しない」という決定論にまで話が及んでいる。

 我々は、過去の自由意志による決定から生じた狭めらた世界に生きていることを理解する必要がある。

 逆に『Philosophers Take on The World(哲学者が世界を引き受ける)』の著者でもあるデヴィッド・エドモンド博士によれば、両方の箱を選択するべきであるとのことである。超知的生命体は、あなたが箱を選択する前にすでに箱Bに1億円入れるか入れないかを決めて箱を設置しているのである。どれほど予測が優秀であるにせよ、設置に至るまでの行為、つまり過去の事実を変更することはできないのだ。したがって、みすみす1億100万円を手にする可能性を棒に振ることはないということである。

 だからアンタの黒い箱は空だと思うんだが(笑)。

 言いたいことは解るが、箱が設置されたに選択(行動)する点(=自由意志)に集中しすぎて量子論の話になるんだろう。

 設定の翻訳が間違っていなければ、あなたが両方の箱を選ぶと予測した場合は箱Bには何も入れず」ということは、「あなた」(チャレンジャー)が誰か決定してから予測する。

 「あなた」が決まる→超知的生命体が予測する→箱を設置する→「あなた」が選択(行動)するという順。

 ※「あなた」を決める前に選定・リサーチ(笑)が行われているところを想像していただきたい。

 超知的生命体が予測する段階で、「あなた」はこのチャレンジの存在やルールについて知っている必要はなく、ソレを知るのは箱が設置された後でもいい。「あなた」の思考・性格(アカシックレコード(笑)でもいい)から予測する。「量子論を持ち出しそうなヤツだな」「欲深そうだな」と思えば黒い箱を空にする。その予測が当たるという設定

 「みすみす1億100万円を手にする可能性を棒に振ることはない」と考えるタイプの人は両方空けると予想できるから黒い箱は当然空。これは超知的生命体でなくともfMRIで脳の活動部位を見れば大凡解る。

 もし、箱が設置された(中身が確定した)後に「あなた」が決まる場合は、「あなた」の思考・行動の予想をする前に箱の中身を決定したのだから、「あなた」とは関係のない未来の予想をしたことになる。それなら確かに自由意志は存在せず決定論(シナリオが決まった世界)の話になり、黒い箱は0か1億円だから、可能性にかけて(と言うよりシナリオの確認のため)両方空けたら良い。

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 この記事にはその手前に「箱を置いた超知的生命体は未来を予測することができて」とあり、この表現の曖昧さが駄問の香りがするが、そんな駄問に世界が付き合わないだろうことを考えると翻訳の問題だろう。
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 2箱開ける場合、黒い箱から開ける必要がある。透明の箱を先に開けて(中が見えているから先に開ける必要はないんだが)次に黒い箱が空だと、イカサマを疑う人が出てくるから。箱の底に穴が空いていて中身をすり替えたんじゃないかとか(笑)。

 一方、迷わず黒い箱のみを開けた人が、欲に目がくらんで透明の箱も開け「初めから2箱開けるつもりだった」と言い張ることを防ぐためにも、手を付ける前に意志を宣言させる必要がある。厳密には。

 「超知的生命体」と設定した時点で、地球人の未知の能力または装置(fMRIメガネとか(笑)脳内スキャナとか)を持っているかもという文脈なので、予想が当たるか外れるか(=信じるか信じないか)は議論すべきじゃない。確率の話になると的中率が50.05%を超えた時点でというツマラナイ話になるし、その的中率を決めかねている以上話が進まない。

 「超スゲーシマウマ」に設定しなかったということは、作者は「超知的生命体」に全知全能性を期待しているだろう文脈下にあり、そこの思考(疑い)は合理的に省略して良い。

 もしソコから疑う「あなた」なら、黒い箱は空だろう。もっと言えば、何も疑わず黒い箱だけを開ける人以外は基本的に黒い箱は空になるということ。疑う人は大抵両方空けるから。結果を知りたくてしょうがない(両方見ないと気が済まない)という衝動に負けるから。

 「じゃぁ、散々疑って迷って、最後の最後で黒い箱だけ開けたら空?」と問えば、その性格から予想して1億円が入っているということ。


■ヒトの思考は予測可能なのか。

 これは超知的生命体でなくても将来的にAIが高い精度で予測できるようになる。

 本人が許可したとして、スマートフォンのマイクが24時間全ての会話を拾い、なおかつテキスト発信(メール、ブログ、SNS、検索キーワード全て)を記録すれば、日々の言動から2つの箱を開けるタイプかどうかは機械学習で比較的簡単に予測できる。

 散々疑ってケチつけて迷ってあちこちに投稿してみんなの意見を聞いてほとんどの人が「2箱開けるべきだ」とアドバイスした結果、土壇場でやっぱり黒い箱だけ開ける(笑)人も予測できる。そういう人はいつもそうだから。

 「美味しくて有名なとんかつ屋に行きましょう」と皆を誘っておいて、全員が注文し終わった瞬間カレーを頼んで失敗し後悔する人とか(笑)。「赤いを買う」とショッピングに出かけて「赤くない」を買って帰る人とか。

 何も予定通りに行動しない人。むしろ予定と必ず違うことをする人。その気もないのにわざわざテキトーな予定を流す人。これは日々の観察で予測できる。

 為替やビットコインなども同じ。散々全員一致で「下がる」と話していたのに、1人だけこっそり買いを入れて静かに退場する人とか。顔でわかる(笑)。そしてその後の言動が変わる。決まって「為替とかビットコインとかって、結局はギャンブルですよね」と言い出すから。能力の問題ではなく運で片付けたい心理。この手の人は「黒い箱だけ開けたら確実に1億円もらえるんだからソレしかないでしょ」と言いながら箱を手にする直前に衝動にかられて2箱開けるだろう。

 自由意志や決定論を持ち出す人とは、自分が自由であることに拘り過ぎる。どんなに自由でも自分の持つ思考の癖や傾向は変わらない。だから予め大凡の(近未来の)行動が決まっている。

 手作業で「真のランダム」を生み出すことが難しいのと同じ。ランダムの種を選ぶ時点で思考の癖が出るから。

 だから、この問題の設定は決定論としてどこかの誰かがどの箱を開けるかが決まっているという話(プログラミングされている世界)ではなくて、当該チャレンジャーの日頃の行いから最終的にどういう行動に出るかは高い精度で予測できるということ。超知的生命体と設定するなら確実にと考えて良い。

 両親の身長から子供の身長が予想できるのと同じレベル。鳶は鷹を産まないのも同じ。

 「それじゃ遺伝子で全て決まっている」という決定論的な結論じゃないかと思った人は細切れで考えすぎている。生命は連続的なもの。両親が出会って恋愛に発展するか、子供を産むかどうかは自由意志であり、その自由意志によって誕生した子供は両親の遺伝子を半分づつ引き継ぎ、髪の毛や瞳の色、体格や骨格、声、流動性知能などは大凡決まり、鳶から鷹は生まれない。それを先祖代々遡っていくと非常に濃い血(傾向)が見えてくる。ブルドッグのように。

 ※見方を変えると急激に拡がった“多様性”がいかに画期的かつ偏りを是正するチャンスかということでもある。それに気付くか否かが進化という側面で見た「知能」ではなかろうか。

 すなわち自由意志によって選択を繰り返すことで、未来は特定の方向に決定付けられていくと言える。こっちの方がよっぽどパラドックスのようだ(笑)。

 自由意志とは本人の思考の偏りの中にある自由だから。日々の全ての決定をrand関数で決める人はいない。言い換えると、もし悩みたいなら「どの箱を開けるかrand関数で決めた場合でも当たるのか」なら解る。


■オンラインIQテストを受けた人のその後の予測。

 例えば、とあるAさんは偶然FacebookでオンラインIQテストの広告を見かけた。いいねが10万件も付いている。自分もやってみよう。テストの結果「あなたのIQは195です!アインシュタインを超えています!」と表示され気を良くし、結果をSNSにシェアした。すると数日後、知人らも結果をシェアし、自分のスコアが高ければ優越感に、低ければ劣等感が刺激される。その結果、グーグルで「知能指数 普通」とか「IQ 天才」と検索する。

 そしてチャーリーのIQ出演率表に辿り着く(笑)。

 という人達が非常に多いことは、載せて5年間ずっとアクセスランキング上位に位置していることとアクセス元の検索キーワードとを照合することで見てとれる。

 私は初めてオンラインIQテストを見かけた際、結果画面のコメント欄を見てすぐにソレを予測し準備した。10文字くらい読めば間違いなくIQ 100前後だろう人達が195、250という数字に喜んでいて、そのうち自分のIQが本当はどの辺の位置にいるのか(すなわち偏差値)を気にして探し回る人が非常に多いだろう想定で、最初にこのIQ表を作って設置した。

 先行してぬか喜びした人がその後ぬか喜びしている人にこのリンクを投げつけ「オンラインIQテストなんて全然あてにならないよ」「IQなんて意味ない」と吐き捨てることも予測し(笑)、オンラインIQテストとウェクスラーの比較も最初に載せた。

 IQ出現率表にわざわざわ標準偏差15,16,24の値を併記したのは、標準偏差を理解していない人(テレビ局とか)が、標準偏差24の値を都合良く解釈・利用することも解っていたので、初めから「メディアは標準偏差24の値を使う」ことも明記しておいた。

 併せて現代のDIQや偏差値の算出方法まで予め載せた。古い世代が「精神年齢」型の話をし出す人がいるのは目に見えているし、自分のオンラインIQテストの結果を正当化したい人、或いは他人の結果を否定したい人のどちらもが信憑性について検索してみることが解っているから。

 そして表を見て出現率を理解すれば、IQ 195が何百人・何千人もオンライン上にいるはずがないことが解るから無駄な論争を引き起こさずに済む。暗に答えを示した。

 「自分はIQが高い」ことをどうしても示したい人は、オフィシャルな試験はないかと探した結果メンサに行き着くことも大凡の必然だし、次の段階では「ジャパン・メンサの試験(行列推理)では本当のIQは測れない」→「本当のIQテストとは」と言い出す人が出てくることも解っていたので、予めメンサに入会し、なおかつウェクスラー成人知能検査も受けて結果を載せた。

 「高知能=病気(異常)」と考える(または言い出す)人が一定数いることも解っているので、知能検査とは基本は精神科・心療内科で受けるものだから、既存の被験者像は偏っていること(=精神疾患等がセットでついてくる人がほとんど)、ギフテッド=生きづらいではないことも予め説明した。

 また難問で競い合う人が出てくることも解っていたので、IQ 160超の測定がいかに困難であるかについても先に説明した。

 IQは高い(っぽい)のに社会的に上手くいかない人がいるのはなぜと疑問に思う人が出てきて当然なので、性格や感情に左右されることを最初に書いた。

 どうにかして優れたオンラインテストは作れないのかと作る側に回る人がいることも想定し、人気のある資格試験を一通り受け、現代の大凡この答えだろう項目反応理論についても触れておいた。

 知能の議論の果ては「結局お金を稼いだ方が勝ちだよね」という現実主義な人が出てくることも必然であり、書き手は私であることに意味があると考え知能のブログを始めた。この議論の最後まで付き合える人・見届けられる人とはまで手に入れた人だから。

 と言う具合に、思考の成熟度(段階)に応じて、ほとんどの人が通る道というものがある。すなわちパターン。その段階毎に参照されるようブログを設計した。

 ちょっとした観察力さえあれば、ある分岐点(この場合誰かがオンラインIQテストを受けた瞬間)からその後の行動は大凡予測できることを意味している。

 AIなら、読んだ投稿の種類、順番、経過時間を統計分析し、次に読まれるだろう投稿を高い精度で予測できるだろう。人間は忙しくてやらないだけ。

 だからといって私の知能のブログに行き着いた人達は自由意志を奪われていたわけではない。自分の意志でオンラインIQテストを受け、気になったことを自分の意志で検索して辿り着いただけ。

 しかし、検索キーワードは自由意志だが、そこから先はほとんど一本道であることが多い。細かい枝はあっても。

 「この商品を買った人は、こんな商品も買っています」(協調フィルタリング)と同じで、クリックし続けるとどこかの誰かと似たような画面になる。Facebookの広告やニュースフィードも同じ。何度か同じニュース記事をクリックした人達は、その後は同じニュースが優先表示され、同じニュースを読んでいることが多い。よって同じ事を話題にする人達の集団と化する。

 「思考のパターン」(すなわち偏り)があるから自動化するアルゴリズムが生まれる。

 それだけ人は偏っているということ。

 ということを踏まえて第二シーズンでは知覚・認知について書いた。

 また、「努力か遺伝か」の議論も定番なので、この2年は行動遺伝学やジーンライフ遺伝子検査など遺伝について書いた。特異的無嗅覚症もその1つ。

 そもそも私はプログラマーであり、人工知能について研究する人達が「人間の知能とは」と検索することが解っていたので、まず先に知能についてまとめておいた。そして今、人工知能について書き始めた段階。私のブログはここからが本題。

 「AIに仕事が奪われる」派と「AIによって人間が働かなくて良い時代が訪れる」派がいて、前者は大凡決定している。そこで予め後者が可能なのか結論付けておくために、『知的労働で完全無人収益化は可能か。【予告編】』を始めた。※私は20年前からほぼ同じようなビジネスモデルで稼いできたので、可能なことは決定しているが、「AIによって人間が働かなくて良い時代が訪れる」はこの先重要なテーマとして取りあげられるようになる。その結果私のブログが検索にひっかかる。


■結論

 ヒトは自らの自由意志に自信を持ちすぎている。ニューカムのパラドックスにおいて、自由意志と決定論を持ち出す人は、あと10年もしないうちにスマートフォンのAIにアレもコレも予想され言い当てられ、「監視されてるかも」と被害妄想に陥り頭を患うかもしれない。

 監視しなくても予想できる範囲の行動しか取らない。ヒトとは。『チェス、将棋、囲碁と人工知能から見る思考の偏り』と同じ。

 だから過学習(過剰適合)は良くないというのが先日の話であり、知能とは「思考の範囲(scope)と深度(depth)」の乗算以上の何かだと言いたい。

 というわけで「超知的生命体」の予想は確実に当たる前提で、黒い箱だけを開けるべきだ。