「 「東大に行ったのに普通の人生」な人たちの苦悩。 | Books&Apps」

 オモシロイテーマだ。

 これは、観測者の水準によって見方が変わる代表例じゃなかろうか。

 大衆側心理としては、冴えない人生を送っている人は心のどこかで「自分は一流大を出ていないから良い職に就けないんだ」と自分の過去を悔やんでいることが多い。貧乏な出の人が「裕福だったら上手くいったのに」と劣等感を持つのと同じ。「あのときあーしてれば」(お金があればできたのに)的な。そこで東大を出ても冴えない人を見かけると必要以上に扱き下ろす。「東大出てりゃいいってもんじゃない」と。裕福な人が失敗するのを見て喜ぶのと同じ心理。

 かつ「自分はそんなに悪くない」と思いたい心理。

 自分が遊んでた頃、東大に行くのに必死で勉強して努力した人達が成功すると決定付けられてしまうと、今の自分は過去の自分の結果でしかないことが確定するから。「勉強しなかった自分が悪い」と自分を責め続けると耐えられないから、「あんなに勉強してもダメな奴らがいるんだ」と思うことで自分を慰めていると言える。

 もっと下にいくと、「若い頃ちょっとくらい悪いことしたヤツの方が人間味がある」などとドロップアウト側を褒め称える傾向が強くなる。

 いずれも観測者の座標から見た視界

 東大を出ても冴えない人生を送っていれば「東大なんか行かなきゃ良かった(=思春期の時間を無駄にした)」と思うこともあるだろう。それは本人の勝手。他人が言うことじゃない。

 以前仕事をした外国人女性は当時東大生だったが、「自分は入試を受けて入学したわけじゃないから」(交換留学生?的な制度で)といつも謙遜していた。しかしいざ就労ビザを申請すれば、申請書と通知書の郵送期間を含めて一週間で発行された。通常は1〜2ヶ月。私も沢山のビザの手配を手伝ったが彼女が断トツの最短。これは「東大」ブランドを使える資格を持った人だけが知りうる威力。

 所得も同じ。いくらビザ申請しても不許可になる外国人でも、高額納税者が人が身元保証人になると大抵ビザがおりる。過去3年分の納税証明書を添付するだけ。納税しているということは綺麗なお金であり、そういう人間が身元保証人になってあげようかという人なんだからと“信用”が保証される(それが身元保証人の仕事)。これもお金を稼いで山ほど納税したことがないと知り得ない威力。

 ※どれだけ稼いでも納税していないと所得が公的に証明できないから「消費」(すなわちお店等)でしか威力を感じられない。だから私は納税派。

 常に観測者の水準に沿った視界が広がっている。世の中とは。

 話は戻って、「東大に行ったのに」は、どこまでいっても“東大”に対する期待がそこにある。「せっかく東大出たんだから」に始まる高い水準の結果や実績を求める心情。結局のところ東大はスゴいという大前提。

 「せっかく美人なのに」に似ている。美人で性格が悪いと叩かれやすいが、不細工で性格が悪い分人には触れもしないことが多い。1つ間違えると「弱い者イジメ」になるから叩きにくいという潜在的な優越性がそこにある(=「不細工で性格が悪い」を“弱い者”という前提であり、見下している(?)ということ)。

 偏差値75超の東大から「東大を出て、年収230万円の警備員の仕事をしている人」に“成り下がる”と残念がられる(潜在的に警備員の仕事を見下しているということ)。これをAさんとしよう。

 一方偏差値50(すなわちザ・平均)の大学を出た人に周囲は何も言わない。そもそも期待してないんだろう。その期待されていない人が社会人偏差値50を超えると「上出来」と褒められる。これをBさんとしよう。

 で、結果的にどちらも「年収230万円の警備員の仕事」をしていた場合、BさんがAさんより優れているわけでも立派なわけでもない。「現時点で同じ警備員」というだけ。

 ではそこからどんな可能性があるかと将来に目を向けると、頑張れば偏差値75も可能なAさんと、頑張っても偏差値50止まりかもしれないBさんとでは選択肢が異なるし、サラリーマン社会では履歴書が放つ力がまるで違う。

 頑張って偏差値50という人は下振れリスクがある。75から50に落ちてきたAさんよりも、50から40、30に転落するかもしれないBさんはハイリスクだと言える。

 これは学歴を問わず、所得偏差値と同じ。「ちょうど平均年収稼いでいる」という人は「普通」という(本来根拠に欠ける)安心感があるかもしれないが、基準自体の日本の給与水準が低いため「=貯蓄は無理」という層であり、現状のような(パンデミック)社会環境下においてすぐに生活が逼迫する。電車で言えば1本ダイヤが乱れると全部が壊れるという危うい(下振れしやすい)層。

 だから期待されているか否かの違いであって、普通の大学を出て普通の仕事をして普通の年収をもらっている方が上手くいったわけでもない。

 心情と現実を切り分けて評価する必要がある。

著者の池田さん自身も東大卒なのですが「東大は人生の幸福を決して約束などしてくれない」と述べています。

 もっともだし、全てにおいて同じことが言える。

 知能が高いからといって人生の幸福が約束されているわけではないし、有名な大企業に入社したから人生の幸福が約束されているわけでもない。美人だから人生の幸福が約束されているわけでもない。

 日本の平均年収436万円稼いでいる「普通」な人も幸福は約束されていない。そもそも税収が足りてないから、10年後、20年後、日本の社会保障がどうなるのかさえ何も確約されていない。増税されれば普通の生活が送れなくなるリスクがある。

 初めから誰も何も約束していないので、もし約束されているような機が一瞬でもすれば、それはただの妄想・幻想の世界。

 「東大」といっても、それこそ、学生には一番からビリまでいるわけです。

 その通りで「普通」の層の中にも一番からビリまでいて、知能指数で言えば85〜114、偏差値で言えば40から59の1σが普通と呼ばれているが、「普通」の幅は広くその差は大きい。

結局、「東大なんて入らなきゃよかった」って言うことが許されるのは「東大に入ることができた人」だけなんだよなあ。

 まさしくそう思う。本人が言う分には勝手だから。

 入れなかった人が、「あぁ東大なんて行かなくてよかった」と確信する理由にはならず、こういったテーマの最後に「やっぱり普通がイチバン」という人達の根拠にもなり得ない。

 結局のところ、東大を出た後普通の人よりいい生活をしている人の方が多く、偶然上手く行かなかった人はそのサンプル集団の中の外れ値でしかないのだから、そこをつまんで見ても全体は見えてこない。