この10-20年で世界全体の男女平等レベルが急速に底上げされてきているので、日本の古めかしさがより目立つようになってきた。確かに取り残されている。
男女が50%づつ居る限り、決を採るにも組織(会社とか)を構成するにしても、常にその男女比を保っていない限り偏った状態なので、その偏った状態から生み出される結論は全体を表していない可能性の方が高いというは統計の基本。
私の場合取引先の役職者は決まって男性ばかりだったので、昔からその奥さんも含め会食の席にはとにかく女性を集めて可能な限り自然な男女比を保ってきた。男ばかりで話すのと違って、話の展開がずいぶん違い、より協調的・調和的な仕上がりになる。見栄の張り合いとか競争とかが好きじゃない私はその方が楽。
ただこの手のテーマで「日本は政治的意思の欠落によって世界のジェンダー平等の流れから取り残されている」という展開に持ち込むのはあまり気乗りしない。
日本人の思考や精神性は、政治家の意思によってコントロールされているのかということになるから。それは政治家を過大評価しているか、或いは責任転嫁しているかのどちらか。
※何でもかんでもアメリカの陰謀論で片付けるソレに似ている。アメリカは神なのか的な。
そもそも日本人のジェンダー感覚は、政治的な意思というよりも「女性は三歩下がって歩く」とか日本文化そのものによるところが大きい。
※女性が後ろを歩くのは、武士道において後ろから狙うのは卑怯だから、襲われるとすれば前方から(だから男が前に立つ)という説がある。これについては以前「レディーファーストと落とし穴」で考察した(笑)。
嫁のもらい手がないとかそんな理由で「女は大学に行かなくて良い」「女は短大で十分」としてきたのも政治家ではなく世の中の父親達であり、法律で女性の学歴や社会進出が制限されているわけではない。少なくとも現代社会は。
欧米人がよく使う「謝らないで」から考察すると、政治家のせいにする場合、自分達は被害者であるという意識が根底にある。それは必然的に我々国民側の主体性(意思・意志)の欠落を意味する。
その主体性に欠けた思考が自発的な改善を妨げる(=法律化されない限り変わらないことになる)ので、それでは余りにも政治家任せ過ぎるし、法律化してもグローバルダイニングのように命令に従わない企業も出てきたので、政治家頼みには限界がある。
ヒトとは自然により良い方向を目指す生き物なのだから、男性は偏見や古い感覚を更新し女性の立場を尊重する努力、女性は男性に支配されないためにも自立する(すなわち稼ぐ=社会進出する)努力をすることを期待したい。
その意識が日本人には乏しい。島国で世界・時代は変わっていることを感じにくいからだろう。絵文字の顔が一色だったことも多様性に揉まれていない代表例であり、政治家に指揮・指示されないとワカラナイようではこの先国際社会で通用する民族とは言えず、いずれにせよ取り残されることになる。
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