「「1500円の食事代が割り勘」に憤る婚活女性の主張 | 仲人はミタ-婚活現場からのリアルボイス- | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース」

 社会全体の思考が成熟するまでの間、一旦は階級社会に戻るんじゃないかと私は思っている。

 古典的な「頼れる男性」が好きな女性はおごってもらうと嬉しい。一方フェミニストや先進的な女性は、おごってもらうことで「囲われている」ような気持ちになり、言いたいことが言えなくなるから嫌だと感じる。

 本当の平等社会を一度も見たことがないため、女性達は自分のあるべき立場を模索している。

 まだまだ男女に給与格差があるので、時代の流れに合わせてそれぞれ負担するにしても、せめて所得比率での負担が公平なんじゃないかと私は思うが、均等割にしても所得割にしても、最終的には所得が高い方が相手に気を遣い疲弊する。

 例えば1人1万円のディナーまでなら出せるが3万円となると厳しいという相方の場合、普段から3万円のディナーを食べている所得の高い側は、ワインを飲まないとか、ショートコースにするとか、相手が出せるところまで自分の生活水準を下げる必要が出てくる。それがイヤで自分の分は自分でというのもよそよそしい。

 大飯食らいの男性なら、彼女と解散した後再び食事をとるということもあるだろう。

 すなわち、所得の低い側(現状、一般的には女性)が「囲われてる感」を感じないようにと配慮し続けることになる。これは背の高い側が常に低い側と同じ目の高さに膝を曲げて調整しなきゃいけないとすればどうだろうかという話と似ていて、長く続けば当然に疲れる。

 ご機嫌斜めのある日「キミが台に乗ったら?」みたいなことを言って溝が生まれ、そのうち修復不能になるという結末が見えている。

 ということから、対等に振る舞うためには対等の所得帯でなければ無理だというところに一旦は落ち着き、階級社会に逆戻りする。「お金持ちの彼に高級取りの彼女(または良家のお嬢さんとか)」のように。

 ※社会的には「良家」というブランドが通用しなくなった時点で無価値化する。

 そして思考が成熟してくると、「お金は出せないけど美貌を提供している」とか、個々の価値に対する値付けが始まる。「良家」というブランドまたは遺伝子的な価値も同じ。

 美女なら「一緒にいるだけであなたの株を上げてるのよ」的な(笑)。

 実際のところ、モデルになれば美貌に対する報酬がもらえるのに、「彼女」になるとその対価はもらえない。医者や弁護士が女房の相談に対し診療代・相談料を請求できないのと似ている(笑)。

 タダで利用されている能力や価値は多い。

 その昔、専業主婦の仕事量は年収1,000万円相当だという試算結果も出ていたように。

 そうやって思考が揉まれていくことで、最終的にはお互いが「その価値がある」と認め合った時に成立するという非常にファジーな領域まで高められる。本当の意味での「価値観」の合致と言おうか、高次の精神性と言おうか。

 それは現実的な裏付けのある自己固定感(自己啓発ではなく現実的な)と、相手に対する敬意によって為し得るものであり、双方が達観していないと、どちらかが卑屈になり得るもの。

 例えばおごってもらった際、「囲われてるみたい」「言いたいことが言えない」と感じる場合、自分がその金額に見合った他の何かを提供していないという自信のなさが見え隠れする。

 かといって自信を持ちすぎて「私と居られるだけアンタ幸せね」と言ったところで、裏付けがなければただの自信過剰・ナルシストでしかなく、どこまでいっても、お互いが自分と相手に価値を見いだす必要がある。

 一言で言えば、どちらかが未成熟だと成り立たない関係。

 と考えたら、ほとんどの人が理想的なパートナーシップを築くことは難しい。残念ながら。