2〜3ヶ月ほど前、背面ケーブルのメンテナンスで偶然テレビをつけたらオモシロイ番組が始まったので最後まで見た。
人類の進化という文脈において出てくる「知能の高まり」は、脳の大きさによってもたらされたものとして語られる(ことが多い)。私には特に異論を持つほどの反証材料がない。
番組では、頭蓋骨から推定される恐竜時代の草食動物の脳は70gだったのに対し、肉食動物は200gあったとしている。言うまでもなく肉食動物は「狩り」で頭を使うから脳が発達した。
草食動物は草が生えている土地を見つけたら食べ尽くすまで定住。一方肉食は警戒し逃げ回る獲物を捕らえるのに毎回(いつも違う)頭を使う必要がある。流動性知能が発達する。
頭のでかい恐竜が小動物を追いかけ穴の中に逃げ込まれるとお手上げ。そこで虫を捕まえて穴の外に置き、小動物が穴から出てくるのを待って捉えるといった「思考」が生まれた。
癇癪を起こして泣きわめくとますます逃げられるので、じっと我慢するという忍耐の始まりでもある。衝動から理性へ。
ヒトで言えば、冬は狩り自体が命取りになるので(今のように寒さに備えて脂肪を蓄えられるほど栄養や接種カロリーが潤沢ではなかったから)、寒くなる前に食料を確保し、冬の間保存させたいと考える。
いわゆる備えあれば憂いなし。
※現代人が脂肪を蓄える必要がなくなったのはエアコンの普及によるもの。
「保存」(すなわち腐敗を防ぐ科学)に行き着くまでの初期段階では単純に「デカい獲物を仕留めよう。そうすればしばらく食べられる」と考える。しかしヒト1人でマンモスを狩るのは困難だから、そこでヒトは「協力関係」を築く。「群れ」(社会)の始まり。
それに保存手段を確立しない限り、食べきれず腐ってお終い。保存するためには火を通すとか塩漬けにするとかの知恵が生まれた。
頭がイイ奴の言うことを聞けば、画期的な「罠」や連携プレーによって自分では到底実現できない大物を仕留める(かつ保存する知恵を得る)ことができる。ココはひとまず仲良くしておこうという考えが生まれる。力は強いが頭は良くないという者が、頭の良い者に「貸し」を作ることが将来のためになるという意味合いでの「(富[食料]の再)分配」も生まれるだろうし、「リーダー」が誕生する瞬間でもあり、そして全体理解のスタート地点でもある。
腹が減った→獲物を獲るという単純かつ衝動的な利益の追求から、中長期的なプランを練る(計画的行動・思考)という具合に、確実に自分のものとするために単独で小動物をその都度捕らえるのと、配役によっては一見労働力的に割に合わなくても皆で山分けすることを比較し、最終的にはどっちがメリットが大きいかという計算(戦略的)思考への変化。
間違いなく人類は賢く進化してきた。
そこで疑問が生じる。
今世界はパンデミック下にあり、全体として目指すべきはパンデミックの収束だが、そこでアイデンティティを主張し「マスク反対」と叫ぶ人達には、中長期的な利益を見据えた協力関係こそが現時点での最善の策という思考が欠落しているように思う。
だとすれば、本来現代人は極めて発達しているはずの大脳新皮質が、偏差値的に見て平均を下回っている可能性はないだろうか。
すなわち思考力の欠如。
また番組では、視覚や聴覚、嗅覚などからの入力情報をまとめあげるのが大脳新皮質であるとしている。この大脳新皮質のお陰で適応能力が高まり、空間認識能力も高まったと解説している。
大脳新皮質が発達している=適応能力が高いといういことは、現在のパンデミックに適応・順応していく能力と捉えることができ、どの角度から見てもマスク反対運動は今することじゃない。
そこで冒頭の脳の体積の話に戻ると、ネアンデルタール人は我々ホモサピエンスの脳よりも1割ほど大きかったらしい。しかしホモサピエンスは新しいことに挑戦する性質だったのに対し、ネアンデルタール人は古くからのやり方を維持したことが石器の形状から見てとれ、その結果適応能力に優れたホモサピエンスが残ったとしている。
ということから、どこかのタイミングで「脳の体積から推定される知能」(大きいほど賢い)から、「現代的な知能」(大脳新皮質の発達)という“質”と時代との適合性(最適化度合い)の重要度が増したと考えられる。
コンピューティングの世界でも全く同じで、最初はひたすらトランジスタを詰め込む。そのために小型化する。数が多い程速いから。そしてマルチCPU、マルチコアと「多い方が優秀」としてひたすら増やし続けるが、どこかのタイミングで数よりも実際に要求される処理に最適化することが主と変化する。
恐らく「数を増やす」ことで得られるメリットよりも、使わない機能が多すぎるとエネルギー効率の観点からコスト増(電気代とかバッテリーの持ちとか)の問題が目に付くようになるからだろう。
そしてスリム化が始まる。
しかしそこで採られるスリム化は、貧乏なミニマリズムではなく、究極の最適化(いいとこ取り)。
ヒトの能力も同じく、多様性の尊重かつインターネットによって多岐に渡る個性や能力が表面化しているが、最終的には使える能力、需要のある能力というものがあり、その適合度が高い能力を持つ者が選ばれるという適者生存の法則が今もなお有効であると言える。
能力の維持費(知識の更新や訓練にかかる費用や、消費する時間など)が収入を上回ると生存が危うくなるから。
というわけで現代人はコストと戦っている(そこに最適化しようとしている)と言い換えることができる。その戦いに負けると滅びるということ。
※これは2〜3ヶ月前に書いたものなので、マスク反対運動はやや古い話題と化している。
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