ゴールド免許は優秀なのか。AI人事の考察。

 「差別や偏見をなくすために」というとりあえずの目的のために、そのうちほとんどの査定はAIになるだろうことから、評価基準がどう変化していくのかを考えてみる。

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AIは心理的差別はしなくても、統計的に何でも決定付けていくので、ヒトのように例外的な判定はしてくれない。「えこひいきがなくなる」と喜ぶ人もいるかもしれない一方で、統計的「ど偏見」が生じる可能性が高いから、上司に恵まれなかった人達がAIによって救われるかというとあまり期待しない方がいいだろう。

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 まず基本的なデータ分析から。

 例えば、毎日(365日)お酒を飲んでいる人が、月に1回泥酔事件を起こすとする。一方、年に2回しか飲まないが、5年に1回泥酔事件を起こす人と比べた場合、一般的には前者が「酒飲みでしょっちゅう問題を起こす人」と捉えられるが、数値化するとまるで正反対の性質が見えてくる。

 確率的には12/365≒1/30(3.28767%)と1/10(10%)の差がある。すなわち後者の方が問題発生率が高い。頑丈か壊れやすいかで言えば壊れやすい。言うまでもなく頻度で判定する場合は前者の方が高い。

 ヒトとはできるだけ手間暇かけずに評価作業を簡素化したがり、いわゆる“ゴールド免許”のようなわかりやすいものに対し加点しやすい。

 が、実社会では免許取得後全く車を運転せずにゴールド免許になったという人も多い。

 機械(AI)は疲れないので、ヒトがイチイチ調べることを面倒くさがる“実態”も評価対象として統計的解析を行う(ようになる)。

 例えば、10年間車を運転していないゴールド免許の人に運転させたらどうなるだろうか。車庫から出した矢先でぶつけるかもしれないし、目的地のショッピングモールの駐車場で物損事故を起こすかもしれない。そもそも1つ1つの行動が遅く間に合わない=使えない=コストかもしれない。そういう人が数人出てくると「リスク高」というラベルが付く。

 すなわちゴールド免許が無価値化する可能性がある。

 これはゴールド免許という看板に対するえこひいきがなくなると同時に、運転頻度の少ないゴールド免許者は事故率が高いと決定付けるど偏見の生じやすさを意味する。

 ※例えば、資格を持っている人が実務で冴えなければ、「資格をとることによって頭でっかちになり実践に弱くなる」という査定基準が定着するかもしれない。よって統計的「ど偏見」が生じやすい。

 そこで統計的解析とは、なぜゴールド免許なのかという本質を探ることになる。

 年に何回運転するのか。1回あたり何時間運転するのか。自分の車かレンタカーまたは社用車か(※)。

 ※他人の車だと大胆になるという人がいるから重要。保険屋的な査定ノウハウ。

 で、冒頭のお酒の例のように事故(問題)を起こす確率が算出される。

 どのくらいの頻度でお酒を飲むのか、車を運転するのかを業務にあてはめると、どのくらい定型業務と異なる仕事・イベントに参加・挑戦するのか、どの程度その作業に日常的に携わっているか(慣れているか)に置き換えることができる。

 普段全く何にも参加せず、決まり切った事務作業をしている人は目に見える問題を起こしにくい。かといってそれが優秀さと直結するかというとそうではない。いつもと違う仕事を任せたらまるでダメとか。定型業務をこなしている間は「視野の狭さ」は査定対象とならないから、周りが気付いていないだけかもしれない。

 そこで冒頭のお酒の例のように、たまに何か目新しいことをすると失敗する場合は「適応能力が低い」と判定されるかもしれないし、平均よりも新規イベントへの参加率が低ければ「変化を好まない人物」とラベルが付けられ、そのうち新しい仕事が回ってこない査定サイクルに陥る

 昔から「平凡がイチバン」「普通がイチバン」という人が一定数いるが、平凡であることは何も良いことではない。悪いことでもないが、平凡は平凡でしかない。

 一般的なAIの挙動から見れば、通常と異なる事象が生じない限り「変化なし」(または誤差=波のゆらぎレベル)として認識され(株・為替のチャートで言えば2σ範囲内)、グーグルのクローラーが投稿の少ないブログの巡回頻度を下げるように、査定サイクルが伸びていくと考えられる。

 機械にとってデータを見ていない時とは何も起きてない(=居ないのと同じ)なので、たまにアクションを起こすことが必要になってくるだろう。

 クレジットカード業界(のインビテーション基準や限度額の上下の判定)ではかれこれ20年、30年同様のシステムが用いられている。数百万人、数千万人のいわゆるクレジットヒストリーを個別に毎月見ていられないので、日常の平均的な利用額を突出して上回る決済をするとか、限度額をはるかに超える決済をするなどの特別イベント(例外エラー)が起きるとアラートを発して担当者が目視する。

 見方を変えると、担当者の目に触れたければモニタリングシステムにエラーを起こさせるしかない。

 「センチュリオンやプラチナカードのインビテーションが欲しいのにまるで来ない」と嘆いている人達に何かイベントを起こしなさいとかれこれ15年ほど言っているのはそういうこと。プラチナカードで年間1,000万円使っていても、それはプラチナカードの年会費を考えたら当たり前レベルであり、「想定の範囲内」をイチイチ人力目視していたら人件費が嵩み年会費を値上げする必要が出てくるため、機械観測をデフォルトとする。

 よって「見て欲しい」なら見てもらえるイベントを起こす必要がある。

 当然に「見て欲しい」なんて思う必要もなければ考える間もなく見てもらえる人もいる。上記の例ではプラチナカード所有者の年間平均利用額が1,000万円だと仮定すると、5,000万円使っている人は存在自体が例外だから担当者が目視する。すなわち自発的アクションを起こさなくともインビテーションが送られてくる。

 この辺が自分から何もしなくても上司の目に止まり出世する人と、「上司が全く自分を見てくれない」と嘆いている人との違いと共通するところであり、上司が見てくれない場合は多分AIも見てくれないだろうことから、AI査定で差別やえこひいきがなくなったとしても、結果は対して変わらないだろうと私は思う。

 下手すると今以上に血液型や星座、出身地などの特性が統計的事実として重要視される可能性も十二分にある。

 統計解析とは確率的な判定だから、適用した集団(社内とか)においてA型の人が10人中5人が几帳面で、B型の人が10人中3人が几帳面なら「A型の方が几帳面」と決定付けるため、AIが新しいデータを読み込み認識が更新されるまで(すなわち几帳面なB型が増えるまで)の間は、几帳面さが求められる職務においてB型の判定は低くなる可能性が高い。

 もっと現実的な傾向に当てはめるならば、出世組(群)は日々目に見える数字(成績や業績とか)を出力するため、地味組よりも先に統計解析基準に影響を与えやすく、その後の評価格差が開きやすいといえる。

 各評価項目の基準値を先に上げられてしまうと、地味組が特に冴えない判定を受けやすくなるいうこと。

 というわけで各層の顔ぶれはあまり変わらないだろうと予測する。