派手な時代に。

 ここのところ、格闘技界で年収や高額の買い物披露が盛んで、それが芸能界にも波及し、派手な時代に突入した感がある。

 格闘家や芸能人、スポーツ選手などは、自分自身の能力やスター性で稼いでいるのだから、本来誰に気兼ねする必要もなく、何を買おうと、何を食べようと、どこに住もうと勝手なんだが、長らく日本社会はお金の話を避けてきた。

 古典的な会社経営者のように、多くの従業員に支えられ稼ぎを得ている人達は、確かに自分だけ高額報酬では「みんなに悪い」「労働者をこき使って搾取している」という心理が働くのもわからなくもない。しかし資本主義経済下においては、利益は全て株主のものであり、中小企業の経営者のように、創業者本人が100%株主というケースでは、これもまた仕組み上誰に気兼ねする必要もない。本来は。

 しかし日本人はお金の話を避けてきた。

 それが少しづつ開放されつつあるように思う。

 そもそも自分の力で稼ぎ高額納税し社会を支えている(*1)側の人達が、サラリーマンに気を遣って年収についてだんまりを決め込んでいるのは「自慢していると思われる」「羨ましがられる」という気持ちが根底にあり、見方を変えると心のどこかで見下している証拠でもあり、本来は自分で決めた道を歩んでいる大人同士、私は私、あなたはあなたであるべきもの。

 (*1)累進課税制度下では、扶養する側・される側という力関係が強く出るため、制度を理解している人達にとっては圧迫感があるかもしれず、私はフラットタックスを支持する。

 例えば、背が低い人の前で背が高い人が気を遣って自らの身長を言わないとか、学歴の低い人の前で高学歴な人が気を遣って出身大学を言わないとか、まさに典型例。

 20年ちょっと前、周囲に東大卒が多かった時期があり、彼・彼女達は自分から進んで出身大学を言わず、誰かが尋ねると「東京の大学を出ました」と答える人が多かった。

 日本人にありがちな「自慢していると思われたくない」という心理だろう。

 「イチバン」が確定しているのでわからなくもないが、その点、山口女史のように自ら「ハイスペック女」を名乗り、東大卒、元財務相、弁護士と前面に出す潔さの方が私は個人的に好き。

 今では「東大出」を敢えて隠す人もいなくなった印象があり、それと同じように年収についても開放されつつある。

 その分一般的なサラリーマンの年収と100倍以上の差があることを見聞きすることが増え、格差を感じる人も増えただろうが、元々日本人は差があることにフタをされた社会に生き、皆似たり寄ったりだと勘違いして生きてきたので、そろそろ現実に目を向ける機会だと言える。

 問題は、あまりにも“フタ”をされてきた時間が長かったことから、突如訪れた開放空間に戸惑い、思考が追いつかない人もいるだろうということ。人間に保護された動物がすぐに野生に戻るのが難しいことと似ている。

 すなわち、「配慮」という人為的なフィルタリングの中で生きていると動物的な本能が失われていくということを意味しており、日本人の多くはもやしやかいわれ大根のようになってしまっているところがある。

 数日前に書いた「コロナ禍でラクジュアリーコスメ・フレグランスの需要が高まった」という件についても、「マスクだから化粧いらない」派とは逆行していて、現代社会を物語っている。

 自宅に招く人が増えたり、旅行や外食が減った分「自宅撮り」する人が増えると、高級取りはグラスや食器、家具にお金をかけるようになる。「景色」も必要だと思えば、再びタワーマンションも悪くないねと家にお金をかける人が増える。

 実際に、ティファニーやエルメスなどのハイブランドは、コロナ禍で急に食器類が売れ「モノがない」状況にまで陥ったと言うし、空前のエルメス・ロレックスブームだし、シャネルは過去最高益を記録している。

 ということから私は都心回帰が加速するという見立てを維持し、しばらくは都心5区の不動産価格は上昇するだろう。そしてハイブランド品はますます売れ、“見栄っ張り”層の需要によって中古市場もそれに追随し価格は高騰する。

 と言うとまるでバブル期の循環を思い出す人もいるかもしれないが、人口増と高金利の勢いに乗って膨れあがった当時と、人口減とゼロ金利で“稼ぎ”そのものが地に足が付いている現在とでは経済構造がまるで違う。

 しばらく派手な時代が続くと思われる。